徒然日記~楽しい悪口
悪口というものは、時に誉め言葉よりも興味深い。
ある意味、表現方法やボキャブラリーのストックというものが、誉め言葉以上に問われるのではないか。
根も葉もないことを言い立てるものもあるが、重箱の隅をほじくり返すようにして、攻撃ポイントを見つけ、ピリリと辛い、距離を置いてみるとクスリと笑える言葉で言い表す。
こんな情勢だからこそ、笑いが必要だ。
今日は、認められる前の印象派やその先駆者エドゥアール・マネに向けられた「悪口」を今日はいくつか集めて見るとしようか。
①エドゥアール・マネ<オランピア>(1863年)
1863年のサロン(官展)に出品され、入選するも、物議をかもした一枚。
批評家いわく、「下品なメスゴリラ」。
モデルは、マネの絵で何度かモデルを務めてきたヴィクトリーヌ・ムーラン。
ヌードを描く際は、女神など理想的な存在として描くのがルールなのに対し、マネは、当代の生活の一部として、客(鑑賞者)を部屋で迎える娼婦を描き出すという、挑発行為を実行。
当時の人々にしてみれば、見ないフリをしてきたものを、白日のもとに曝されたようなもの。
ちなみにマネ本人は、賞賛されることを信じていたらしい。
②アレクサンドル・カバネル<ヴィーナスの誕生>(1863年)
一方、こちらは<オランピア>と同じ年のサロンに出品されたアレクサンドル・カバネルの作品。
白く泡立つ海面、波打つ艶やかな髪、そして白いなめらかな肌とまるで写真のよう。
ポーズは、雑誌のグラビアっぽい。(おい)
描かれているのが、タイトル通り、女神の誕生の場面であると考えると、たぶん成人女性の姿をしている彼女の中身は、赤ん坊同然なのかもしれない。
しかし、<オランピア>とは対照的に、人々から絶賛され、皇帝ナポレオン3世が自ら買い上げたほど。
二作品の明暗を分けたのは、「神話の女神―――理想的な存在として描いたかどうか」。
ルールを守って、筆触を残さない描き方で、理想的な女神を描き出した、カバネルのこの作品は、言ってしまえば、芸術家の登竜門たる官展における模範解答。
しかし、小説家エミール・ゾラいわく
「乳白色の川に身を浸した女神」
「肉と骨からできているのではなく(中略)、一種の白とピンクの練り菓子でできている」
③クロード・モネ、<印象・日の出>、1872年
美術ファンならご存知、「印象派」の名称の由来になった記念碑的作品。
サロンの審査制度に反発した若い画家たちが結成したグループ展、「画家、彫刻家、版画家などの美術家による共同出資 会社第1回展」に出品。
出品作の多くは酷評を浴びたが、この<印象・日の出>も例外ではなかった。
批評家は、この絵のタイトルから、グループ展を「印象派」展と揶揄した上で、こう結んだ。
「この海の絵よりも作りかけの壁紙の方が、まだよくできているくらいだ」
しかし、画家たちは開き直ったかのように「印象派」と堂々と名乗り、展覧会を開催し続けた。そして、その作品は今や世界中で人気を集め、親しまれている。
④ルノワール、<陽光の中の裸婦>、1875~6年
印象派時代のルノワールの代表作。
顔の造作がちょっとわかりにくいが、肌の上に白く点々と散った木漏れ日が印象的。
しかし、上に挙げたようなヴィーナスの描き方を見慣れた批評家からすれば、信じがたい描き方だったようで、
「死体の腐敗した状態を示すような、緑や紫の染みで作られた肉の寄せ集め」
上の「メスゴリラ」と言い、女性を描いた絵に対する言葉にしてはあまりにも…。
モデルになった女性もどう思ったやら。
だが、好意的に見る人もゼロというわけではなかったらしい。
悪口に屈するなかれ。
欠点やコンプレックスは個性になる、とそんな意味のことを、ココ・シャネルも言っている。
とにかくしり込みせずに、やってみたり、表に出して見る方がずっと良いのかもしれない。