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<太陽>覚え書き

まずはこの絵を見ていただきたい。
画面の大きさは縦約4.5メートル、横は約7.8メートル。
真中には大きな、白い丸い太陽。周囲に、赤や黄の光線を放ちながら、水平線からゆっくりと昇っているところ。
水面に映る様も含めれば、超高温に熱せられたガラスが溶ける様にも似ているだろうか。

太陽に強い思い入れを持ち、作品に描き出した画家と言えば、ゴッホがまず思い浮かぶ。

この<種をまく人>を始め、太陽はしばしば、全てを見守る「神」のような存在として登場する。
上の大きな白い太陽もまた、「神」そのものと言って良い。
が、その存在感、そして画面の枠を超えて放たれるエネルギーはゴッホの作品のそれとは比べ物にならないほどに強烈だ。
触れれば、それこそ指が骨も残さず溶けてしまいそうな。

では、この<太陽>の作者は一体誰なのだろう?
ゴッホ?
いや、彼のほとんどの作品で、太陽は黄色でもって描かれている。

ヒントを一つ。
名前だけなら、誰もが知っている。(むしろ、知らない人の方が少ないだろう。)
その代名詞とも言うべき作品が、こちら。

もうおわかりだろう。
答えは、エドゥアルド・ムンク
この<太陽>は、1911年、48歳の彼がオスロ大学の講堂のために描いた壁画のうちの一枚である。

1911年、創立100年を迎えたオスロ大学が、講堂壁画の注文先を決めるため、コンペを開催。エントリーした総勢20数名の中から選ばれたのがムンクだった。

ムンク、というと<叫び>や、そのバックストーリーに見られるような暗いイメージがある。
子供の頃に母や姉を病気で亡くした経験や、自分も病弱であったことから、常に死に対する恐怖や不安に苛まれ、それを創作の源としていた。
また、恋愛もそれなりに経験するも、実を結ぶことはなく、特に恋人トゥラとの関係は、心身共に深い傷を負う結果に終わった。
これらの濃すぎる経験を経て40代半ば。
コペンハーゲンでヤコブセン博士の治療を受けた彼は、ようやく心身の健康を取り戻した。
そんな自分について「退屈なおじさん」と語った彼は、それから亡くなるまでの長い年月、多少のトラブルはあったものの、以前に比べると考えられないような健康な生活を送った。
<太陽>を含む壁画は、そのような時期に描かれた。

壁画は大きなパネルが3枚。そして小さいパネルが8枚。
全部で11枚から成る。
その中心部を占め、講堂の正面の壁に位置するのが、この<太陽>であり、周囲の壁には、この「生命の根源」である太陽の光を求める人々が描かれる、という構成になっている。

私自身も、昔、何かの本でムンクのこの<太陽>を見た時には、<叫び>との印象の違いに驚かされた。
<叫び>や他の作品につきものだった、不気味な黒い影。闇。
対して、<太陽>は、一切の影や闇を打ち払い、焼き尽くそうとしているようにも見える。
ただひたすらに強く。
そして、熱い。
まさに「強烈なエネルギーの塊」と言って良い。
全ての生命の根源、としてもふさわしい。
とりあえず、「ありふれたもの」、「普通」ではない、というのは確かだろう。

ムンクは、常に生と死の諸相を見つめ、描いてきた。
特に前半期は、「不安」や「死」、「恐怖」、「情念」といったものに関心を向け、そして今度は生の「源」へと目を向けた。
彼が変ったのは、どのような面を特に注視するか、ということだろうか。

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