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結局、心地よさが最強だった

母親は教祖様。

幼い頃から「宗教」という沼に頭頂部まで水没していたものの、ひょんなことから教祖の逆鱗に触れ20歳で破門。

そして、破門から5年後に教祖である母が他界。

それをきっかけに教団とも完全にと決別したわたしは、以後「宗教」というものに対して嫌悪感を持って生きていました。


それは、「スピリチュアル」に対しても同じで。


スピ的な情報に触れても「アヤシイ!ダメ!ゼッタイ!」という強固な意思でスルーしていたのです。

しかし、そんなわたしも人生詰み気味だった30歳のとき。尊敬する方から「真のスピリチュアルとは何か」について説かれ、今までの概念が180度変わりました。

スピリチュアルは、ただの現実逃避や依存ではなく「人生の舵を自分でしっかり握って生きるための智慧」なのだと。


ところが、わたしはどうも「自分に何かを課し、克服する」という人生ゲームが好みなようで。

そのため、当時スピリチュアル界隈で流行っていた「願うだけ」「心地よくいるだけ」「自分が大事!ご自愛しよ♡」といった、いわゆる「ゆるふわ系スピ」に対し、「あんなのは間違っている、行動しないと変わらない」と猛烈にジャッジしていました。

とはいえ、「ものは試しに…」「ジャッジは良くないよね」と、それ系の書籍やブログも読んでみたこともあります。

だけど、いつも「何言ってんのコイツ…」と、鼻で笑って終了。(どこが真のスピリチュアルを理解している反応なんだ、と昔の自分をビンタしたい衝動にかられております)


しかし、20代後半からから約10年間、スピリチュアル、自己啓発、心理学…などに1,000万円以上のお金を払ってきて(1,000万円以上は怖くて計算していない)

毎日内観とエゴの手放しを行い、そしてバンジーも飛びまくり、自分を変える行動もたくさんしているはずなのに、人生は好転するどころか気持ちも現実も闇に堕ちていくばかり。


これは何かがズレている


と、気づいたときには、人間関係、パートナーシップ、お仕事、健康など…ほぼすべてのカテゴリーにおいて「強制終了」を経験した後でした。



「こんなに頑張っているのに、なんで自分ばかり…」「なんで、あの人は幸せそうなのか」と、ひととおり絶望と嫉妬という感情を味わった後。

少し冷静さを取り戻したところで、今までの人生の棚卸しをしてみることに。


すると、この数年間「わたしは人生を楽しんできただろうか?」という究極の問いに辿り着いたのです。

しかも、悲しいことに、答えは音速で「No」



ポーカーフェイスの裏ではいつも、

なにかをしなくてはいけない、という焦り
自分の人生はなぜ変化しないの?という怒り
このまま終わっていくのか…という絶望感
自分はなんてダメなんだ、という無価値観
もっと行動すれば変わるはず、という苦痛

を感じていました。


どんなに贔屓目に見ても、こんな在り方でクリエイションされる人生が楽しいはずがない。

そんな当たり前の答えに辿り着いたとき。

「人生の貴重な時間を無駄にした」という思いが出てこなかった、といえば嘘になります。


それでも、泣きそうになりながら、本当は本当はこれからどうしたい?と自分に問うてあげると、「もう何かを手放すとか、内観とか、たくさん行動するとか、したくない。もう動けない。」との返答。

そう。自分のエゴと向き合い、良かれと思って修行僧のように取り組んできたインナーチャイルドの癒しや価値観の手放し、そして「頑張って行動する」ことが、あろうことか自分を苦しめていたのです。



確かに、癒しや内観による手放しは、効果的。

しかし、ある程度のところまで癒しが進んだり、「こんな価値観があるんだな〜」と客観的に自分を見られるようになった段階においては、それ以上自分のエゴに真正面から向き合うことは、余計に苦しみを生み出すと今では感じています。

なぜ苦しいのかというと、「いまのわたしのどこがダメなのか」という視点になってしまい、自分の内面をほじくり出し「エゴの犯人探し」をし始めるから。

自分の内面で、火曜サスペンスよろしく常に船越英一郎が推理して犯人を追っているような感覚。(わかる?)

それって、全然安心感ないし、心地よくないし、楽しくない。(船越さんは好きだけど)

しかも、一回の「犯人探し」で「癒しや手放しが終わる」なんて稀有なので、何回も何回もやる事になります。つまり、その度に心地よくない感覚を感じてしまう、ということ。これはつらい。


「考え方」や「行動」は、もちろん大切。

だけど、「感じていること」の方が現実を創る力が大きいので、恐れや焦りいっぱいで行動しても外側の現実も心地よくないものになっていく…これが、「癒しも手放しも、そして行動も頑張っているのに、現実が変わらない、なんだか苦しい」の正体だったのです。


ここ数ヶ月間は、皮肉な事に。

あれだけ行動してきたわたしが「何をやってもうまくいかない」「もう動けない」という状態になっていました。(強制終了)

アメブロとインスタでの発信、今までやってきた「問題を解決に導く」というセッションもできなくなり(ただ、相手に寄り添うことを意識してセッションをしています)、まさに「今まで積み上げてきたものがリセット」された「白紙」の状態。


とはいえ、そんな「からっぽ」な状態になったからこそ、ありがたいことに時間だけはたくさんありまして。

ぼーっとしたり、一日中なんにもしなかったり、ただ好きな読書だけをして過ごしたり。今までの人生にないぐらい、心地よくリラックスした感覚を味わっています。

でもね、不思議な事に、新しいおしごとや人とのご縁はどんどん広がっていっていているんです。

それらを体験した結果、「感じていること(心地よさ)が最強なんだ」ということが腑に落ちました。


在り方8割、行動2割。

「現実を変えるためには行動も必要」という考えは、今も変わっていません。

でも、おしごとも人とのご縁も、以前のように「動かないとカタチにならない」という切迫した感覚ではなく、「楽しいからやってみたい、人との繋がりも広げていきたい」と軽やかな感じに変化していて。



そして、これからは、行動の奥にある「動機」「在り方」を一番大事にして生きていきたい、そんなふうに思っています。



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今日のチャネンリングメッセージ
「真の幸せは、自分の心地よさの中に」
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