ゆったりとした良い1日を、まちなか図書館で
私は図書館が好きだ。
元々本は好きだが、小学生の頃からジブリの「耳をすませば」の世界観に惹かれ、ビデオを見たり、金曜ロードショーで放送される度に釘付けになっていた。
その中でも、主人公が街の図書館へ出向くシーンが好き。
帰り道にいつもと違う道を通ると、ワクワクする素敵なお店に辿り着く。
日常の中でときめいて、それを自分が書いている作品へ盛り込んでいく姿。
そんな主人公の、物語を書きたい熱量に魅せられて、自分もいつか小説を書きたいなんて思って。
中学校、高校と、進学して学校が変わる度に、私は学校の図書室へ足を運んだ。だけれど、進学した中学は割と新しい私立学校。
残念ながら蔵書も少なく、たくさんの本に囲まれてワクワクするような体験は起こらなかった。
それから私は運動も好きで、運動部に所属して部活へのめり込んでいった。試合に向かって練習する情熱や、ハラハラする展開はちょっとした感情の麻薬だと思う。
だけれど、やっぱり本を読みたい気持ちや、文章を綴りたい気持ちはずっとある。充実していない学校の図書室よりも、学校から程近い小さめの本屋さんへ週に一度ほど通うのが楽しみだった。アニメで見た街の図書館に憧れはあったが、部活に邁進していた私には自宅から遠い大きな街の図書館へ行こうと言う発想はなかった。
そして、高校生になっても、お盆も正月も返上して部活へ明け暮れて。だけれど少しずつ文章を書きたい欲を発散したくて、まだSNSの乏しい時代にネット上で詩や日記を投稿してみたりした。小説を書いてみようと思って書いたこともあるが、完成したことはない。
高校までスポーツに明け暮れたが、大学へ進学を決める時に私の中には文学へ行きたいと言う気持ちが真っ先に出てきた。だけれど、常識の詰め込まれた私の頭はすぐにその考えを否定する。
「作家になるわけでもないのに、どうして文学部に?もっと就職に有利な学部へ行ったら効率がいいのに。」
私はあっという間に頭の声に負け、自分の望みとは違う士業の資格を取れそうな大学と学部を目指した。うまいこと目標にしていた大学へ合格し、新しい気持ちで始まった大学生活。自分で授業を組めると言う大学のシステムは、本当に楽しい。
私は必要な単位以外に自分が受けたいものを選んだ。そのラインナップはやはり文学系ばかり。わざわざ取る必要のない西洋文学や気になる授業を詰め込んだ。相変わらず小説を書けるほどではなかったが、常に本の世界に触れていたかったのだろう。
大学の図書館は蔵書も多く、中高の時と違い夢中になった。ファンタジーな物語だけでなく、ビジネス本やエッセイなど。気になった本を片っ端から読んでみる。私にとって本は、県内なのに往復5時間かかる長い通学の時間を忘れさせてくれるものだった。
だけれど、自分で選んだはずの大学生活は1年と少しでうまくいかなくなった。自分が本当に望んでいることを締め出したツケが回って来た。無意識のうちに自分へ嘘をつくことに疲れてしまったんだと思う。
このまま普通に大学を卒業すれば、それなりに就職してそれなりの生活ができる。そう分かっているはずなのに、学校へ通う足はどんどん重くなる。同級生との何気ない会話も、どこか上滑りしているように感じて。私はいつに間にか自分の殻に閉じこもって、家から出られなくなっていた。
そこから数年の記憶はあまり明るくない。
大学もやめて、かろうじて大自然の中で人と関わらない仕事に就いた。実家が農家でよかった。それでなかったら今頃私はまだ家に引きこもっていたかもしれない。
家の仕事は昔から手伝っていたし、何より好きだった。人と関わらずマイペースに仕事ができる。やりがいも感じるし、仕事として面白い。だけれど、やっぱり私はまだ自分についている嘘に気づけない。
順調に仕事をしていたと思ったら、まるでエネルギーが切れたみたいに引きこもってを繰り返していた。
そんな私を見兼ねた母が、何かいい策はないかと流行り出していたヨガに連れ出した。最初は引きずられるようにして行ったそれに、私は次第にハマって行った。自分の気持ちを話すことや整理すること、身体を通して自分を感じていく作業に私はのめり込んだ。
その時出会った先生が自然体でとても素敵で。憧れたと言うのもある。先生は夜のレッスンの最後に必ず言う。
「今日もぐっすり眠れますように。明日も素敵な1日になりますように。」
そして昼間のレッスンでは必ず、「良い一日を」と言ってスタジオで見送ってくれる。その言霊を聞く度に、私もそれを心から言えるような人間になれるだろうかと考えて。
そして、ヨガをもっと学びたいと言う気持ちのまま、私は30を前にしてヨガインストラクターになっていた。自分の気持ちを表現することに抵抗もなくなり、精神的にも脆さがなくなり安定。自分へ嘘をつくことも減った。
ヨガで自分が大きく変われたことを伝えたいと言う熱量のまま、フリーランスとして活動して。後少しで活動も2桁の年数へ差し掛かろうとした辺りで、私はまた違和感を抱え始めた。次から次へと湧き出てくる自分の望みを叶えているはずなのに、私はどこか満たされない。
まだ大丈夫…と思いたいのに、少しずつ迫る情熱がなくなる瞬間へのカウントダウンを肌で感じていた。そして最後の火が消えるように、人生を変えたヨガを伝えることにあったはずの情熱が、跡形もなく消える瞬間が訪れた。
私は情熱を失い、無力感を感じていた。それなりにうまく気持ちを盛り上げて登っていたはずなのに、突然梯子を外された気分だ。
空っぽになってしまった心にきっかけが欲しいと思いつつ、途方に暮れる日々。そんな中でたまに浮上する気分と、その度に頭を過ぎるオリジナルの小説を書いてみたいと言う気持ち。
“本当は小説を書いて生きられたらいいのに。”
だけれど、設定を考えるのが面倒だとか、それを書いてどうするんだ?とか。
頭の声がすぐに私を否定する。
大人になってからも、足掻くようにSNSやブログを通して文章を書くことはずっと続けていたけれど。どれもしっくりこなかった。
そして、どうしても作家になりたいと言う強い思いや情熱があるわけではないように思う。どちらかといえば、自分の感情の発露に文章を使いたい。文章に自分の思いをぶつけたいと言う熱量があるだけな気がする…と私は、自分を分析した。まるで、「耳をすませば」の主人公のように。
では、私はどう言う形がいいのだろう?
どうしたら満足するのだろう?
その答えがまだ見つからない。
きっと、人間は小さい頃に見た夢にずっと囚われている。
「耳をすませば」の世界に憧れを持ってから、私は随分と大人になった。
そしてこの鬱々とした気分を巻き返そうと、大人になって行動範囲の広がった私は、街の図書館へ向かう。
今でも平成初期の香りが残る古き良き趣の建物の大きな図書館は、数年前に駅前に分館が誕生した。大人になるにつれて知識と経験が増えた私は、小さい頃にアニメで見た古めかしい図書館より、時折テレビなどで見る都市部のおしゃれな図書館が羨ましいなと思うようになっていた。
それがいつに間にか、あまり変わり映えのしないそこそこ田舎のこの街中で、近代的でおしゃれな図書館ができるなんて。真新しいこの図書館に初めて足を踏み入れた時、新しい風が吹いてきたかのように感動した事を覚えている。
そして、もう数えきれないぐらいこの図書館を訪れている。
だけれどふと、まだ利用したことのない図書館のまんなかにあるカフェを利用してみたいと思っていた事を思い出す。
「こんにちは。お決まりですか?」
優しく柔らかい声のカフェスタッフ。ずっと気になっていたパニーニと、マイボトルを持参してカフェラテを入れてもらう。閑散としていた館内のカフェは、私が注文を入れてから次々とお客さんがやってきた。
ワンオペのスタッフさんは少し忙しそうに見えるが、ゆったりとした動きで注文を捌いていく。ここは図書館だから、ガチャガチャとスタッフさんが動いては空気に合わないだろう。私はまったりとした気持ちで出来上がるのを待っていると、ようやく番号を呼ばれた。カウンターへ向かい、注文した品をお礼を言って受け取る。それに対して、スタッフさんはゆったりとした空気のまま言った。
「ありがとうございます。今日も良い1日を。」
母に連れて行かれたヨガスタジオで、その台詞を柔らかい声で言う先生を思い出した。私はこのカフェを利用するのが初めてだから知らなかったが、これが定型句なのだろうか。
私も憧れた先生の受け売りだが、別れ際の挨拶に同じ言葉を人へ言う。今の私は、言霊や想いが思った以上に人生を左右する事を知っているから。カフェのカウンター近くで注文したものを味わっていると、注文を引き渡す度にスタッフさんが「良い1日を。」と言っているのがよく聞こえる。
今日はやけにその言葉が自分へ響く。
どんなお客さんにも言うであろう台詞なのに、聞けば聞くほど胸がいっぱいになるようだ。ここ最近、鬱々としていた自分の持つ周波数が変わったような気がした。その気持ちを味わっていると、今感じた事を書きたい気持ちがどんどん湧いてくる。
普段私は、一つ一つの事を味わうタイプだ。
でも今日は、温かいパニーニが少し冷めてしまうのを勿体無いと思いつつも、湧いてくる気持ちのままキーボードをタップしてしまう。だって、文章を綴っているだけで、身体の奥から湧き上がってくるような感覚に涙が出そうになるのだ。
小説を書きたいと言う気持ちも、設定を考えるのも面倒だと言う気持ちもどちらも嘘じゃない。無理やり捻り出さなくても、自分の気持ちの赴くままに、自然と湧いてくる事を綴ればいいじゃないか。
自分と言う人間も人生も、1つの物語の設定になるんだから。
私は今日自分の気分を上げるために、ここで漫画を読もうと決めていたのに。ここ数日盛り上がっているバレーに因んで手に取ったバレー漫画を傍によけ、止まらない思いを綴っていく。その漫画はすでに何度も読んでいるけれど。もう一度自分の中にある情熱を取り戻したくて、手に取った青春バレー漫画だった。
漫画はこれを書き終わってからゆっくり読めばいい。
これを書いたら満足してしまうかもしれないけれど。
そしたらまた図書館へ足を運べばいい。
今日はするすると文章が出てきて、なんだか調子がいい。
今ならどんな事でもできそうな、無敵な気分。
久しぶりにワクワクを取り戻した瞬間だった。
今日も夜にはバレーの試合の放送がある。その熱気を目の当たりにしたら、自分の中の何かにまた火がつくかもしれない。
昔と違って、今は好きな事や、やりたい事を傍によけたりしない。
自分からもっと、熱量のあるところに飛び込んで行こうと思えた。
そしたらまた、何か自分の心を震わせるものがあるかもしれない。
図書館は、私を本来の自分へ戻してくれる場所だ。
そして今日眠りにつく時。
私はカフェでもらった言葉通り、良い1日だったと思って今日を終えるだろう。
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