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【笛吹市春日居郷土館】「わが町の八月十五日展~甲府空襲と笛吹市~」を見に行く
はじめに
笛吹市春日居郷土館・小川正子記念館にて、夏に行われる恒例の展示として「わが町の八月十五日展」があります。町村合併前の春日居町の時代から続くもので、市内の戦没者の遺影や寄贈された遺品を展示するものです。
トップ画像は、戦意高揚の教育のため市内の国民学校に贈られた八八式偵察機のプロペラです。
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わが町の八月十五日展
27回目となる本年は「わが町の八月十五日展~甲府空襲と笛吹市~」(2024.7.13~9.16)として開催されています。遺影と寄贈された遺品の展示はほとんど変わりませんが、毎年変わるテーマ展示があります。本年は甲府空襲について甲府市教育委員会から資料を借用するとともに笛吹市春日居町内で犠牲になった二人の女の子について解説があります。
また「わが町の八月十五日展」の展示期間は、併設の小川正子記念館も含め入館が無料になります。
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昨年、一昨年の様子はこちらをご覧ください。
新しい展示と本年のテーマ展示を中心に紹介します。ほかは昨年の記事をご覧ください。
新しい展示としてはエントランスロビーに八八式偵察機のプロペラが展示されています。
春日居国民学校(現春日居小学校)に児童の戦意高揚の教育のためにプロペラが贈られ学校にて展示されていたのだといいます。
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展示室に入ると、壁一面に市内の戦没者の遺影は合併前の旧町村ごとに1127人が展示されています。
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遺影とともに市内の遺族から寄贈された遺品が展示されています。手前には97式自砲弾薬箱と獣医行李、合羽です。獣医行李を寄贈された方は陸軍で軍馬の医師として働いていたそうです。
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甲府市内の空襲展(参考)
本年の甲府空襲の展示は甲府市教育委員会より一部資料を借用しているため、毎年甲府市内で行われている戦争展示についても触れておきます。
甲府市内では「甲府空襲 戦争と平和・環境展」を開催しており今年で43回となっております。空襲のあった7月7日前後に開催しており、かつては県民会館の地下展示場を会場としておりましたが、現在は県立図書館のイベントスペースを利用しています。実行委員会の母体は甲府市教職員組合です。
筆者もこちらへ数年足を運んでいるのですが、撮影許可が得られない、展示が毎年古いまま等の理由からnote記事として公開できておりません。
地元テレビ局のニュースサイトより一部画像を拝借して概要のみ紹介します。
甲府空襲は1945年(昭和20年)7月6日深夜から7日未明にB29爆撃機による空襲を受けたため「たなばた空襲」と呼ばれています。
会場には、B29爆撃機の解説や焼夷弾の模型や市内で発見された不発弾が展示されています。
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出典 : UTYテレビ山梨ニュース2024.7.3
![](https://assets.st-note.com/img/1723826494635-Eb6Gujww4T.jpg?width=1200)
出典 : UTYテレビ山梨ニュース2024.7.3
甲府の市街地を再現した模型のほか、空襲が時間経過とともに延焼が広がる様子が時系列で地図で分かるようになっています。
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出典 : UTYテレビ山梨ニュース2024.7.3
また、遺品なども見ることが出来ます。
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出典 : UTYテレビ山梨ニュース2024.7.3
甲府空襲
さて、話を春日居郷土館に戻して、テーマ展示である「甲府空襲と笛吹市」の内容を紹介します。
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まず、展示ケースの中にあるのは、甲府市教育委員会所蔵の資料で空襲の高熱で溶けたガラス瓶と空襲の高熱で焼かれた陶器だといいます。いずれも甲府城の整備事業の発掘調査にて出土したものです。
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「たなばた空襲」と前述しましたが、7月6日11時30分に空襲警報が鳴り、7月7日2時20分までおよそ3時間、B29爆撃機11機が飛来しました。被害は、甲府市(旧市内)の74%が焼かれ、死者1127名(昭和49年調査)、負傷者1239名、被害戸数18,094戸でした。
そうした解説とともに、被災図があります。左側が甲府市街でほとんど焼かれたマークがあります。点線より右が笛吹市内で旧石和町、旧春日居町に空襲を受けた地域があることが分かります。
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焼失区域を示す地図(左)とともにパネルの写真は焼け野原になった甲府市内の写真3枚があります。甲府空襲というと必ず見かける写真です。コンクリート製で延焼を待逃れた建物として2棟のビルが写っているものです。
左上、松林軒ビル(現ホテルドミーイン)、
右上、岡島百貨店(現再開発にて解体中)
下、末林軒ビルと岡島百貨店の両方
が写っています。
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続いて、関連場所について終戦前後に撮られた写真と現在の比較をしています。現在の様子は本年6月から7月の撮影とあります。甲府市教育委員会、あるいは本展の関係者が撮影に赴いたようです。
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(右2枚)外壁だけ残して焼け残った岡島百貨店(現再開発にて解体中)
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(右2枚)外壁だけ残して焼け残った松林軒ビル(現ホテルドミーイン)
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(右3枚)空襲で亡くなった人を埋葬した一連寺(遊亀公園隣)
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(右2枚)空襲で焼けた湯田小学校の校門(現存)
甲府のたなばた祭りですが、1950た年(昭和25年)より犠牲者の鎮魂と復興の願いを込めて始められたものです。
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ここまで空襲による甲府市内の様子の紹介でした。
甲府空襲と笛吹市
続いて、笛吹市内についてです。甲府空襲による焼夷弾は比較的甲府に近い石和地区(旧石和町)と春日居地区(旧春日居町)に投下され住宅などが被災したといいます。
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とくに旧春日居では、鎮目地区では2人の女の子が亡くなっています。10歳と11歳です。
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遺族の体験記があります。
鎮目貴子さんは、家族でいて甲府だから大丈夫だろうとたかをくくっていたら焼夷弾が2階で破裂し家が火に包まれました。男の家族は勤労奉仕等で留守で祖母、母、姉らが逃げるところでした。貴子さんは学用品を撮りに引き返したところ家の中で亡くなったそうです。
平岡美香さんは鎮目さんの隣の家で防空壕に逃げたそうです。しかし学用品を取りにいくと家に戻り全身にやけどをして橋の下まで逃げたところで、母親と再会しますが翌日息を引き取ったのだといいます。
いずれも学用品を取りに戻り亡くなっており、物の不足している時代にいかに大事に学用品を扱っていたのかが分かりますが、災害時には引き返してはいけないことがここからも分かります。
B29爆撃機と焼夷弾の写真、解説図のパネルがあります。また、学校日誌の7月6日(空襲の日)の部分の写真もあります。
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また、甲府空襲を伝える新聞などです。
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(中)山梨日日新聞
右)焼け跡処理に出発する警防団の記事
また、空襲に備えた灯火管制に関する文書(行政文書)の写真があります。戦時下の行政文書については昨年の本展で「行政文書から戦時下の日常に迫る」として展示されました。
土蔵の写真がありますが、上空から見て目立たせないように土蔵を黒く塗るよう指示されたものです。
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行政文書等は借用の関係でしょうか写真だけですが、空襲に備えた灯火管制用の黒電球は所蔵している実物を展示しています。
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全市的な戦争記憶の保存を
別室では「家族の戦後」として旧春日居町時代に父や夫を戦争で亡くした家族の戦後を聞き取り、文章に起こしてパネル展示しています。こちらも例年からの展示です。今年は笛吹市となり20年の節目の年です。全市的な聞き取りを行い、いまのうちに証言を残しておくべきではないでしょうか。
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考古展示のない札所博物館
毎年のことですが、春日居郷土館に考古資料に関する常設展示はありません。日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」の「三十三番土偶札所巡り」の対象になっているため、ご朱印はに関する土偶など4点のみは受付カウンターの隣に通年展示しています。
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昨年は本当に土偶4点のみだけでしたので、その評判は定かではではありませんが、今年は桂野遺跡の土偶と深鉢形土器なども数点展示されました。
昨年はこの場所で春日居中学校の生徒会による「折り鶴プロジェクト」を行っていたはずですが今年はありません。そうしたことで少し考古資料を出したのかもしれません。
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おわりに
「八月十五日展」は町村合併しても意義深い展示を続けている好例だと思います。ほとんどの資料は同じですが、毎年異なるテーマ展示を加えるなどの工夫は感じられます。
ただ、手記や聞き取りなどは旧春日居町のものばかりですでに20年以上経っています。せっかくの恒例の展示ですので記録を残す取り組みをしてもらいたいものです。