【釈迦堂遺跡博物館】特別展「変化する縄文土器」を見に行く
はじめに
釈迦堂遺跡博物館にて土器文様の移り変わりをテーマとした特別展が始まりました。
釈迦堂遺跡といえば圧倒的な量の土偶で有名ですが、土器も多数出土しています。特別展「変化する縄文土器-釈迦堂遺跡の土器装飾-」(2024.6.19~9.1)は釈迦堂遺跡の土器の文様の変化を年代順に紹介する展示です。
変化する縄文土器-釈迦堂遺跡の土器装飾-
釈迦堂遺跡が栄えたのは、縄文時代中期のおよそ1000年間(5500~4500年前)です。この時代の土器は複雑な文様や装飾とも思える形が特徴的です。1000年の間で複雑な文様も、それまでの形を引き継ぎながら次第に変化を遂げてゆきます。
例えば縄文中期の土器は時代を追うごとに次第に立体的で複雑な文様になります。そしてピークを迎えると後は簡素な形へと変化していきます。
本展の土器30点はすべて釈迦堂遺跡から出土したもので、そうした土器紋様や装飾の変化は釈迦堂遺跡においても同様であることが分かります。
ところで、土器文様の新旧を知るいわば物差しとして「土器編年」がありますが、本展では時期ごとの「流行」「文様の変化」といった表現を用いています。全体的に考古に詳しく無くても分かるよう展示の説明がされています。
ちなみに、釈迦堂遺跡の土器の編年表は以下になります。中心となる縄文中期の土器に井戸尻編年を用いて、前期と後期には南関東地方の編年を用いていることが分かります。神奈川県にも近く、さらに中部高地縄文の中心地のひとつでもあったことから納得です。
中期前葉(五領ヶ台式、狢沢式、新道式)の土器
では、順路に沿い時代の古い順に土器を見てまいります。まずは、中期前葉(5500~5300年前)の土器です。
前期の土器の特徴として、木のヘラや竹を半分に割った竹管を用いて押引いた文様やそのまま描いた線(沈線)のほか、ひも状の粘土を張り付けた装飾(隆帯)などがあるといいます。
中期中葉(藤内式)の土器
続いて、中期中葉(5300年~4900年前)の土器のうち藤内式土器です。
藤内式土器の文様の特徴として「隆帯への刻み」「パネル文」が紹介されています。隆帯は粘土ひもを張り付けたものですが、粘土ひもによって表現の幅が広がり複雑な文様へと変化しているといいます。また、平面に施された装飾は立体感が強くなっているといいます。
ちなみに、藤内遺跡を擁する富士見町の井戸尻考古館では「パネル文」を「区画文」と称しています。
展示ケースには4点の藤内式土器が並びます。
一番右の土器は、特徴をである「隆帯への刻み」「パネル文」が分かります。口縁にも刻みがあります。
その隣は、こちらはV字の隆帯もさることながら。さらに隻眼の装飾があります。
その隣は土器の中央がくびれた形をしていますか、底に近い下部に人のような、井戸尻考古館で「半人半蛙」と呼んでいる人ともいえぬ両手両足を広げた何者かが描かれています。
一番左は、半分以上を補って復元されていますがパネル文が見事です。さらには口縁部には貫通した穴の突起が付きます。
中期中葉(井戸尻式)の土器
続いて、同じく中期中葉(5300年~4900年前)から井戸尻式器です。
井戸尻式土器特徴として、文様や装飾に「大きな把手装飾」「張り付けた粘土への彫り込み」があり、より立体的で複雑な装飾であるといいます。また土器全体の形にも特徴があり「くびれた胴部」「そろばん玉状の底部」などが多く見られるといいます。
展示ケースには4点の井戸尻式土器が並びます。
まず、一番右の土器です。こちらは突起やくびれはありませんが、文様を構成する隆帯をはたいへん太い粘土ひもによるものです。
その隣はくびれではないものの上部が大きく張り出して太い粘土ひもにて装飾が行われています。
その隣は土器の形にくびれが見られます。また小さいながら蛇の口のようにも見える突起が四方にあります。
一番左は「くびれた胴部」「そろばん玉状の底部」の形を持つ土器です。さらに、大きく突き出た装飾により、容器としての安定感には程遠い形をしています。
水煙文土器(井戸尻式と曽利式)
飾り付けた粘土ひもはさらに立体化し水煙文と名付けらた渦巻き状になります。井戸尻式の終わりから次の曽利式の初め頃に見られるといいます。この究極ともいえる立体化を頂点に、以降終焉へと向かいます。
さて、この渦巻きは何を意味するのか、興味を感じずにいられませんが、諸説あるものの決め手と呼べる説はいまのところありません。
独立ケースの土器、4つの渦巻き状の水煙把手があり土器胴体にも渦巻きが立体的に描かれています。
その隣のケースは両側に付くはずの水煙把手が片側しかありません。
その隣も、把手は片側だけになっています。しかし渦巻きはより複雑で土器は大型化しています。その隣には小型ですが水煙の把手をまとった土器です。
中期後葉(曽利式)の土器
続いて、中期後葉(4900年~4500年前)に入り曽利式土器です。
井戸尻式に比べシンプルな形へと変化を遂げます。土器の表面に多数の線(条線)を刻むようになります。土器の形もくびれなどあるものの井戸尻式と比較して形はおとなしめになります。
展示ケースには4点の曽利式土器が並びます。
一番右手の土器はたいへん大型です。器の胴体表面に条線が施されているものの、土器の縁はたいへんにすっきりと把手などは付かなくなっています。
その隣も土器の上部は形こそきれいな曲線ですが、装飾はありません。上部にも条線が施されています。
一方、そのとなりは隆帯の表現はありますが、たいへん平面的となっています。
その隣も渦巻きの表現は一部あるもののほとんど平面的に描かれています。
作り込まれた土器と大雑把な土器
たいへん作り込まれた土器ばかり並んでいましたが、反対に大雑把に作られた土器もあり、作り込まれた土器と大雑把な土器の対比の展示があります。5300~4900年前の中期中葉(井戸尻式)の年代のもので、2つの土器は同じ住居から出土しています。
下記画像左側の丁寧に作り込まれたほうの土器はドーナツをついたような細かいリング状の装飾は286個あるといいます。一方右側はリング状の装飾がありますが、たいへん大きく大雑把に作られています。。
キャプションには「水煙文」とあるのでリング状の装飾が水煙文の仲間ということでしょうか。
土器把手とヘビ装飾
続いて、こだわりといえば、蛇と思われる装飾があります。釈迦堂遺跡の動物の装飾の土器ではイノシシと蛇が多いといいます。
では実際に蛇の表現を見ていきます。
また、前述の水煙把手が片方の場合があるように、把手のみ埋められていることがあります。把手はこれまでのように時期ごとに異なり、水煙の渦巻きのほか土偶のような顔面などがあり、なんらかの意味が込められているはずです。
後期前葉(堀之内式)の土器
いよいよ最後は後期前葉(4500~3900年前)の土器です。堀之内式と呼ばれる土器は後期の土器で関東一円に分布される土器です。
展示ケースには4点の堀之内式土器が並びます。
一番左の土器はたいへん大型です。把手もなく立体的な文様はほとんどありません。
他の土器もくびれの土器形状はあるものの立体的な隆帯などの表現は曽利式よりさらに少なくなっています。
以上、土器の装飾の変化を観る展示でした。縄文中期では時代を追うごとに立体的になっていった土器装飾でしたが、ピークを迎えると再び平面的で簡素な形へと変化したところで展示は終わりを迎えます。
常設展の土器
2階の常設展示室にも土器が展示されています。「土器の森へ」と題された展示で古い方から年代順に土器を観ることが出来ます。
画像のみですが、大量の土器の並ぶ様子をご覧ください。
おわりに
土器の文様の変化というテーマは分かりやすく、ファンならずとも見ていて楽しくなるであろう展示でした。釈迦堂といえば土偶ですが、土器が並ぶ姿も圧巻です。
縄文土器は実用的とはおよそかけ離れた文様や飾りが施されているところに大きな特徴があります。土器文様は人々の精神性の表現であるとか、集団ごとのシンボル的な表現であるとか諸説ありますが、諸説あることが見る者の創造を掻き立てるのだと思うのです。