【笛吹市青楓美術館】ぶどう畑の中の最古の美術館(11) 「青楓の四季~秋・冬編~」を見に行く
はじめに
ぶどう畑の中にある山梨最古の美術館こと笛吹市青楓美術館では、7月に前期第2回となる展示替えが行われました。「青楓の四季~秋・冬編~」(2024.7.25~10.14)として、津田青楓が描いた作品のうち、秋と冬に関する作品を展示しています。
本稿は8月観覧時のものです。すでに展示は終了し2024年度後期の展示となっております。ご了承ください。
また、筆者の都合により投稿ペースを落としております。そのため積み残しがさらに増しそうな状況です。お許しください・・・。
「青楓の四季~春・夏編~」はこちらをご覧ください。
青楓美術館
笛吹市一宮町はぶどう畑と桃畑の広がる果樹栽培の地域です。青楓美術館はそんなぶどう畑の中にある小さな美術館です。
開館は1974年(昭和49年)10月23日ですので本年50周年を迎えます。現存し通年開館している美術館としては山梨県内で最古の美術館です。
笛吹市一宮町の出身の小池唯則氏(1903年~1982年、明治36年~昭和57年)が郷里に文化をとの思いで私財を投じて美術館を建設しました。
小池氏は友人の紹介で津田青楓(1880年~1978年、明治13年~昭和53年)と出会い、交流を重ね青楓の作品を集めていきました。美術館の作品は信頼できる方法で収集したいと考えていたからです。美術館を作ることを知った青楓からは、売って建設費用の一部にするようにと40点の作品が寄贈されました。しかし、小池氏は売るなんてもったいない、この作品を展示しようと美術館の名称も「青楓美術館」にする旨を快諾してもらい自身の故郷に青楓の美術館をつくりました。青楓からの寄贈は最終的に70点になったといいます。
しかし、青楓が美術館を訪れたのは開館の一度だけです。青楓はこの時90歳を超えていました。4年後、青楓は天寿を全うしました。
小池氏も1982年(昭和57年)に亡くなりました。美術館は遺族から一宮町(当時)に寄贈され、町村合併を経て笛吹市青楓美術館として現在に至ります。
寄贈も多く現在では900点以上の作品、資料を収蔵しています。この先も収蔵作品が増えていくことが予想されます。
津田青楓
津田青楓(1880年~1978年、明治13年~昭和53年)は、画家、書家、歌人です。また二科会を設立した人物の一人です。
夏目漱石の著作『道草』『明暗』の装幀は青楓の手によるものです。また、漱石の絵の師匠でもあります。
青楓の活動は4つの時代に分けられます。古い年代順に並べると
・図案の時代
・洋画の時代
・日本画の時代
・書の時代
となります。明治から昭和を生きた青楓ですが、時代ごとにまったく異なる分野で作品を残しています。「漱石に愛された画家」「背く画家」など異名も氏の人生を物語っているようです。
青楓の四季~秋・冬編~
「青楓の四季~秋・冬編~」(2024.7.25~10.14)を紹介します。前期「青楓の四季」は「春・夏編」に続き3ヶ月で「秋・冬編」に入れ替えられました。青楓と漱石の繋がりを示す本の装幀作品は継続して展示されています。
1階展示室の作品
展示室の撮影は出来ませんので、図録などの画像から可能な限り作品を紹介します。
まず1階の展示室入ると目に入るのは、300号の大作《疾風怒涛》1932年、です。この美術館の代表作のひとつでもあります。展示テーマに関わらず通年ある作品ですが、まさに冬の季節の丹後の海を描いたものです。
プロレタリア作品を描いていた時代のもので、荒々しく波の打ち付ける海は左翼的な思想を取り締まる当局に立ち向かう意思を表したかのようです。
《疾風怒涛》に向かって、右側の壁には秋の富士を扱った日本画2点が並びます。
《富士第四号》1975年
《紅葉と富士》1975年
いずれも青楓95歳の時の作品です。《富士第四号》は縦の構図に松と遠くに富士が描かれます。
《紅葉と富士》には「老聾亀九十六」と揮毫があります。どこか旅の宿から見た記憶から起こした絵のようです。
ガラスケース内には、漱石などの本の装幀作品が継続展示されています。
青楓は漱石との交流とともに多くの装幀を手掛けました。いずれも大正時代の出版です。
『明暗』1917年(大正6年)
『社会と自分』1917年(大正6年)
『行人』1924年(大正13年)
『彼岸過迄 縮小版』1917年(大正6年)
また、漱石に関する青楓の著作と装幀本もあります。
津田青楓著『漱石と十弟子』世界文庫、1949年(昭和24年)
森田草平著『夏目漱石』1942年(昭和17年)
森田草平著『続夏目漱石』1943年(昭和18年)
注目すべき作品は、津田青楓著「老松町日記」です。
青い表紙に盾に大きく茶色い文字で「老松町日記」とあります。実は、本の体裁をしていますが、日記帳に自前で表紙をつけた本です。青楓は1911年(明治44年)に小石川の老松町に転居しており、同年漱石と知り合い、木曜会に出入りしています。1913年~1914年(大正2年~3年)の日記のうち漱石に関する部分を1961年頃になって書き写したものとのこと。手作りのため一冊しか存在しない貴重な本です。
続いて、ガラスケースの上に日本画作品が並びます。
《古薩摩》は、薩摩の焼き物に葉物野菜が入っています。
《春夏秋冬》は、盆の上に干からびた玉ねぎと新しい玉ねぎが1つずつ置かれています。なぜ春夏秋冬と題したのか解釈が必要な作品だといいます。
《一歳有一春》は、白菜と赤かぶを描いて「一歳有一春」の文字があります。
和室の作品
1階の畳の展示室には《青楓張り混ぜ屏風》1974年、が置いてあります。張り混ぜ屏風とは様々な絵や書、短冊等をスクラップ帳のように貼交ぜた屏風の事です。良寛の歌などが張られています。美術館の開館当日(1974年10月23日)青楓は屏風を車のトランクに積んで持参したのです。
ガラスケースでは図案集を紹介しています。
『華紋譜(花の巻)』と『華紋譜(楓の巻)』です。ともに1901年(明治34年)の作品です。2022年(令和4年)に渋谷区立松濤美術館で青楓の図案に焦点をあてた展覧会が好評を博しました。
和室の壁面はガラスで覆われ3点の表装した書と日本画作品があります。
《傚揚士簾松上鶴図》1923年は、43才の時の作です。
《歌 与謝野晶子》は、年代は不詳ですが、与謝野晶子自筆の歌に青楓が作画したものです。晶子の歌は「手ずさびに われもこうなどもて遊ぶ 人も混ざれり 山荘の客」とあります。
《かどかど廻れ》は、晩年の作「九十五歳」とあります。
階段の作品
2階へ進みます。階段の壁には「第10回しあわせ絵手紙展」として全国から寄せられた絵手紙が通年公開されています。
踊り場には天井まで続きそうな額に入れられた長いフランス刺繍が2点あります。青楓がフランス留学時代に製作したものです。
フランス刺繍と並んで、青楓と最初の妻山脇敏子と3人の子供(長女から三女)たちとの家族写真があります。青楓は5人の子供をもうけましたが2人(長男と三女)は夭折しています。また山脇敏子とは大正13年に離婚しています。
さて、階段を上ったところには、青楓と再婚相手の濱子夫人との晩年の写真や、青楓美術館開館の時の写真などがあります。
画像が用意できませんでしたが、その下にあるケースに青楓が絵を描いた「絵入団扇」が5点並びます。
壁には《白牡丹》制昨年不詳があります。本展のチラシにも使われている白牡丹の日本画です。
こちらも画像が用意できませんでしたが、踊り場から2階へ向かう階段には2階へ向かう階段の壁には4点の日本画があります。
《月の兎》制昨年不詳、は青楓にしては動物を描く珍しい作品です。
《るり沼》制昨年不詳、は磐梯朝日国立公演を記念誌に発行になったもの。
《山門秋景》制昨年不詳、はどこか寺の山門が絵描かれています。
《玉蜀黍》制昨年不詳、は1本の横たわったとうもろこしが描かれます。
2階展示室の作品
2階展示室は、鮮やかです。普段目にかからない《屏風 紅葉図》があるからです。
屏風の両側には2つの書の作品
《清風名月》制作年不詳、はずはり清風名月と大きく書かれています。
《懐紙紅葉》制作年不詳、は紅葉の絵を下地に書を書いています。
画像が用意できませんでしたが、
《富士山の図》1976年、はほかにも展示されている晩年の富士山を描いた一連の作品です。
さらに《弥陀の掌》1974年、《菊の花》制作年不詳、と続きます。
壁には書が並びます。
《秋聾賦》1968年、
《諸悪莫作》1974年、
《我書脱字脱落乃歌》制作年不詳、
《衆多ケレバ》1975年、
《煮豆》1962年、
《長生殿》制作年不詳、
《煮豆》1962年は、煮豆の故事「煮豆燃萁」を書いています。
画像は用意できませんでしたが、ガラスケースの中は画帳の中の作品でしょうか、
《碓氷峠紅葉》制作年不詳、
《富士湖水行写生》制作年不詳、
のページが開いています。
さらに向かいの壁ですが、
《松島図》制作年不詳、
《朝陽図》制作年不詳、
《武蔵野図》制作年不詳、と風景を描いた日本画が続きます。
その下のケースの中には絵巻があります。
《草花絵巻》1974年、は数々の草花が描かれ左側に画賛があります
ぶどう畑のアートギャラリー 「ジンガラ~浅間夜行イラストレーション原画展~」
「ぶどう畑のアートギャラリー」は、受付前のエントランススペースをサークルや個人の作品の発表の場として月替わりで提供する小さなギャラリーです。本ギャラリーのみの観覧であれば無料です。(まとめて3回分の作品を紹介します。)
6月の作品展は「ジンガラ~浅間夜行イラストレーション原画展~」(2024.6.5~6.30)です。昨年に続き2回目となる浅間夜行氏のイラスト展示です。
県外から駆け付けた熱心なファンもいらっしゃるとのこと。オリジナルのほかにファンアートやリスペクト作品があります。
怪獣系やゆるキャラの応募原画のほか、設定画などがあります。あと妖艶系セクシー系がありますので詳細は控えておきます。
甲府UFO事件(1975年)の「甲府星人」のリアルスタイルのイラストです。その隣は、釈迦堂遺跡博物館のバーチャル学芸員「釈迦堂桃花さん」です。背景の土偶は実は桂田遺跡の「ヤッホー」ですね(細かくてスミマセン)。
ほかに、山梨関係でコロナ渦で県立博物館からの拡散で話題になった「ヨゲンノトリ」もあります。
こちらは絵馬です。山梨・静岡両県浅間神社へ絵馬奉納を計画していたといいます。コロナ禍で保留のままになっていた絵馬を展示とのこと。
ウルトラQのイメージイラスト集がありました。1話を1カットで紹介するものです。ウルトラQは昔の作品ですが、少し前にNHKのデジタルリマスター版で見たところでした。
ぶどう畑のアートギャラリー 「古屋治史作品展」
7月の作品展は「古屋治史作品展」(2024.7.3~7.31)です。
古屋治史氏は、富士吉田市在住の82歳、50代から地元富士吉田で日本画を習い始めたといいます。こちらのギャラリーでは初めての展示となります。
現在82才の古屋氏の70代から80代で描いた13点を展示しています。
50代から水墨画を習ったとのことですが、40代から右手の震えがあり、現在は左手で描いているといいます。
ぶどう畑のアートギャラリー 「季節の絵日記~福永由美子 水彩画展~」
8月の作品展は「季節の絵日記~福永由美子 水彩画展~」(2024.8.2~8.30)です。
青楓美術館での展示は初めてになるといいます。
こちらでは水彩画16点の展示になります。季節を感じる作品が春から秋へと順に並んでいきます。
まずは、春の景色からです。
続いて夏の景色です。
フルーツ公園のある万力の丘とともに夏の植物たち
中央にはぶどう畑とヒマワリです。ちょうどここで展示していた8月が季節です。
メインビジュアルになっているヒマワリ畑の風景です。
最後は秋です。
タイル画がありました。
福永氏が依頼され描いた勝沼の周辺マップです。しっかりしたクラフト紙で作られています。希望者へ無料で配布されておりました。
おわりに
つい紹介を後回しにしていたところ、次の展示替えになってしまいした。青楓美術館は10月に開館50年を迎えましたがその関係で本年の展示替えが例年より不規則になっております。折を見て、現在の展示中の「青楓美術館50年の歩み~青楓美術館を色止め作品たち」(2024.10.18~2025.3.16)も紹介いたします。
参考文献
図録『青楓美術館図録』青楓美術館、1983
図録『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』芸艸堂、2020