【山梨県立美術館】年始に「ミレー館」を見に行く2023
はじめに
山梨県立美術館の年始は1月2日より開館します。そして、初日に限りミレーとバルビゾン派の作品を集めた常設展「ミレー館」の写真撮影が可能になります。
年の初め、普段は直接カメラに収めることのできないミレー館の様子を収めつつ鑑賞に出かけてまいりました。
なお、山梨県立美術館の概要については拙稿をご覧ください。
屋外の気になるもの
美術館のある芸術の森公園で筆者が少しだけ気になったものを紹介します。すっかり木々は葉が落ちて寂しくなりました。外は寒いので、すぐ近くにある彫刻作品2点を紹介します。
まず、鳥の彫刻はコロンビアの画家で彫刻家のフェルナンド・ボテロ作品です。なんでも豊満に表現してしまうのがボテロが作品の特徴です。果たしてこの鳥は飛ぶことはできるのでしょうか。
次に、ステンレス製のオブジェは、北杜市在住の小林泰彦氏の作品です。直線と曲線の組み合わせから気流を表現したものと言われます。
年始営業
山梨県立の見学施設は例年1月2日より開館しています。その代わり美術館の場合、年末は12月26日~1月1日とやや早めに休館に入ります。
年始の美術館は普段の休日より客足は多めで、家族連れの姿が多く感じられます。
また、1月2日はミレー館の写真撮影が可能になります。動画、三脚、自撮り棒は使用できません。SNSへの使用は可能ですが、他のお客さんが写らないようにとの注意喚起があります。筆者もなるべく人が写りこまないよう撮影しております。
ジャン・フランソワ・ミレー
ジャン・フランソワ・ミレー(1814~1875年)は19世紀のフランスの画家です。
宗教や高貴なテーマで絵画を描くことが主流だった美術界において、農民の姿を描いたミレーの作品は、当初、批判にさらされました。
ミレーはパリ郊外のバルビゾン村へ移り創作活動を続けました。ミレーのほかにもコローやルソーなど画家たちがバルビゾン村で活動をしました。彼らはバルビゾン派と呼ばれます。
公園内には「バルビゾンの庭」がありミレー(右)とルソー(左)の記念碑があります。
コレクション展A(ミレー館)
常設展示をコレクション展と称しています。コレクション展AとBのうち、Aがミレーとバルビゾン派の作品を展示するミレー館です。
ミレー館は、2009年(平成21年)に開館30周年を記念し本館2階の常設展示室をリニューアルしたものです。
(1)ミレー生涯と作品
山梨県立美術館が所蔵するミレーの作品は、油彩画12点、版画、デッサンなど58点、計70点(2022年現在)です。年4回の入替が行われるものの油彩画については通年展示しています。
この美術館の開館にあたり、どのような作品を収蔵するかについて初代館長を務めた千澤楨治からミレーらバルビゾン派がよいのではと提案がありました。西洋画であれば当時ほかの美術館と差別化が図れること、また、バルビゾン派のテーマである自然の営み、農村風景が山梨の雰囲気と合うことなどが理由でした。
(1-1)画家としての出発
ジャン・フランソワ・ミレーは1814年、農家の長男として生まれました。
1833年、農家を出て美術教育を受け始めます。1837年奨学を得てパリの美術学校へ進みます。
若いころのミレーはサロン(官展)での入選を目指して聖書や神話といった主題を手掛けていました。1940年、肖像画がサロンで認められると依頼が舞い込み肖像画を多く残しています。
左の女性の肖像画はミレーの最初の妻です。モナ・リザを思わせる構図ともいわれています。1841年、ミレーは仕立て屋の娘ポーリーヌ・V・オノとに結婚し、2人はパリへ移ります。しかし、1843年、結核によりポーリーヌは亡くなります。
1845年、ミレーは家政婦をしていたカトリーヌ・ルメールと再婚します。二人の間には9人の子どもをもうけています。《眠れるお針子》はカトリーヌを描いた作品と言われています。
《ダフニスとクロエ》は古代ギリシャの詩人ロンゴスによる恋愛物語の一場面を描いたものです。カトリーヌと結婚して間もないミレーが生活費を得るために描いた絵のひとつです。
(1-2)農村の労働や暮らしを描く
1949年、ミレーはバルビゾン村に移住し生涯暮らします。
パリにいた頃より農民の姿を描くことが少しずつ増え、画風もやわらかなものから力強さが表れてきます。
《種をまく人》はバルビゾン村に移りはじめて手がけた大作です。《種をまく人》という題材にミレーはたいへん興味をもっていました。
1851年のサロンで《種をまく人》が入選します。しかしこの入選について、農民の力強い姿を描いたと称賛の一方で、農民の貧しさを訴える政治的なものであると批判があがり激しい論争となりました。
ボストン美術館にも《種をまく人》が収蔵されています。山梨とボストンどちらがサロン出品作かは議論が分かれています。
ミレーは生涯に3度、四季連作を制作しています。《落ち穂拾い、夏》は最初の連作の「夏」の作品です。
これも貧しい農民の姿です。地主は刈った穀物の一割ほどの穂を地面に残しておきました。畑を持たない農民はそれを拾っていました。背後の収穫された穀物の大きな山と対照的に描かれています。
エッチングやリトグラフでも畑の農民の姿を描いています。
ミレーは、畑の労働だけではなく、家事や家畜の世話など農村の暮らし全般を主題として描くようになります。
《角笛を吹く牛飼い》は開館30周年記念事業として2008年に購入したものです。
《鶏に餌をやる女》は開館20周年記念事業として1998年に購入したものです。農婦のモデルは、後妻のカトリーヌといわれています。
(1-3)人々を取り巻く自然を描く
1960年頃よりミレーの評価は上がってきます。経済的にも安定してきました。1867年のパリ万国博覧会では、一室を与えられて《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》ほか9点の代表作を展示し高い評価を得ました。
また、1950年代後半から、人物中心から自然の描写にも重きが移ってきています。サロンにも風景画を出品するなどしています。
1970年には普仏戦争の戦火を逃れ故郷へ疎開したこともありましたが、1875年バルビゾンの家で60歳の生涯を閉じます。
《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》寒さに耐えるかのような、厚手のマントの羊飼いの姿です。羊飼いは農民から距離を置かれた存在でしたが、聖書の中では「聖なる賢者」として描かれていてミレーが好んだ題材でした。
ミレーが風景を描き始めた1862年頃の作品です。バルビゾン村とフォンテーヌブローの森を区切っている古びた塀と、そこから顔を覗かせる鹿のほか、カエルやタンポポなどが描かれています。
2012年に山梨県が購入しましたが、それまでアメリカの個人所有で公開されず「幻のミレー作品」といわれていました。
1870年、普仏戦争で戦火を逃れフランス北西部の港町シェルブールに半年ほど滞在しています。《クレヴィルの断崖》とはほど近い港町から描いた風景です。
(1-4)ミレーの注文制作
ミレーは、注文により神話やキリスト教を主題にして描くことがありました。
《凍えたキューピッド》はミレーが手がけた二番目の四季連作の「冬」です。古代ギリシャの詩人アナクレオンの詩から着想を得ています。パリに新築する銀行家トマ邸の食堂装飾のために制作されました。
《無原罪の聖母》はローマ教皇のピウス9世のための特別車両の礼拝室に設置するために制作を依頼されたものです。
(2)自然を描く画家たち-バルビゾン派を中心に-
バルビゾンには、ミレーより先にテオドール・ルソーをはじめとする画家たちが先に移住していました。
隣の展示室ではコロー、テオドール・ルソー、クールベ、ドービニーなどのバルビゾン派と呼ばれる画家たちの作品18点が展示されています。
(2-1)バルビゾン派以前の風景画
バルビゾン派に影響を与えた画家の風景画から3点紹介しています。
クロード・ロランは17世紀の風景画家で光に満ちた独特の風景画を確立しました。
《木を伐り出す人々(川のある風景)》は人々が伐採した木を船に運び込ぶ姿とともに夕暮れの寂しげな情景が表現されています。
ライスダールは、17世紀オランダを代表する風景画家で、バルビゾン派や後世の風景画家たちに影響を与えています。
《ベントハイム城の見える風景》は、オランダ国境に近い小さな村ベントハイムの城の風景を描いています。ライスダールはこの城を、しばしばモチーフとしています。
ジョルジュ・ミシェルは、バルビゾンでの制作はしていませんが、バルビゾン派の先駆者ともいえる画家です。
(2-2)バルビゾン派の画家たち
バルビゾンで活動した画家たちの作品を紹介しています。それぞれに描いた作品テーマが異なることや、定住する画家と一時的な滞在の画家がいるなど異なります。しかし共通するのは、自然をテーマとして表現しているところでした。
《大農園》は、コローの特徴でもある銀灰色を用いた詩情溢れる作品のひとつです。描かれているのは、コローがたびたび訪れていたパリの西郊外の小さな町の田園風景とされています。
《フォンテーヌブローの森》のペーニャは、始めアカデミックな絵画を学び、次にロマン主義者とロココ美術の復興を試み、その後ルソーの影響を受け、ロココ的な要素を残しながらも写実的な画風になり、自然主義の風景画家として認められるようになります。
バルビゾンに家を買ってパリから通い、コロー、トロワイヨン、ジャックらと親交を結び、ルノワールなどにも影響を与えました。
デュプレは、ルソーやコロー、ミレー、ドービニーらと親交を深め、大樹や波、荒れた空などをテーマに、厚塗りや激しい筆使いによって劇的な雰囲気をもった風景画を多く描いています。
《森の中-夏の湖》は画面いっぱいに背の高い木々が描かれていて、枝や葉が絡み合って、ひとつの塊のようになっています。
《海景》はデュプレのもうひとつのテーマである波を描いています。
《フォンテーヌブローの森のはずれ》はアプルモン渓谷と考えられます。放牧地として人気があった場所で、ルソーは、1830年代に初めてバルビゾンを訪れて以来、アプルモン渓谷の景色を多く描いています。
トロワイヨンはルソーと知り合い、フォンテーヌブローの森で制作するようになった画家です。動物画家として有名であり《市日》は市に集められた家畜の様子がていねいに描かれています。
ジャックは羊を描くのを得意としました。森のはずれで羊飼いの少女がくつろぐ様が描かれています。
ジャックがサロンに出品した大作です。羊の個性と毛並みが丁寧に書き込まれた作品です。
セラマノは、ジャックの助手でした。作品もジャックの影響を強く受けています。
「水辺の画家」と呼ばれるドービニーは、各地を旅しながら戸外制作を行い、度々バルビゾンを訪れました。
《オワーズ河の夏の朝》は、定住したオワーズ河の風景が描かれており、小さな蒸気船が浮かんでいます。
(2-3)写実主義の展開
写実主義画家としてヨンキントとクールベらの作品が並びます。
ヨンキントはオランダの画家、版画家です。1846年にパリに出て、バルビゾン派の画家たちと交流がありました。
《ドルトレヒトの月明かり》は中央の川に浮かぶ何艘もの舟に月明かりが水を照らしています。こうした、光と影の表現は、クロード・モネなど、印象派の画家たちに影響を与えています。
クールベはのちの美術家に大きな影響を与えた写実主義の画家です。クールベは海の風景を数多く描きました。
2020年には山梨県立美術館で特別展「クールベと海」が開催されています。
クールベは海のほか、狩猟画家としても成功を収めました。《川辺の鹿》は、狩人に追われて逃げ場を失い、川に飛び込む寸前の追いつめられた鹿の様子が描かれています。
最後は、労働する農民を描いた2点です。
《朝》は、ブルトンがニューヨークの画廊から依頼され制作された作品です。
ジュリアン・デュプレは印象主義の時代に、ミレーやクールベの影響を受け、農民や風景などを写実主義的作風で描き続けました。
《牧草の取り入れ》は、干し草作りに携わるさまざまな役目が描きこまれている作品です。
コレクション展B
「風景画考2022」をテーマに前半は富士の見える風景と後半は山梨の風景を所蔵する作品にて紹介しています。
こちらのこれまで通り撮影不可になっています。
おわりに
美術館が収蔵しているミレーの作品などはホームページで解説付きで見られるのですが、一日だけ撮影可能と聞くとつい自身のカメラやスマホで撮りたくなるものです。
次にミレー館での撮影が可能になるのは県民の日である11月20日になると思われます。
ミレーの作品については当初その購入額の高さから、「小さな県の大きな買い物」と揶揄されましたが、地方美術館の成功例となりました。
撮影可能と聞いてスマホを構える人が多いことから、今も人気が衰えないことを感じさせます。
「米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情のシュルレアリスム画家」も会期中です。
富士山の見える窓から、正月の富士山が見えていました。