【南アルプス市立美術館】名取春仙が描く「 日本乃神様」を見に行く
はじめに
南アルプス市立美術館では同市出身の画家名取春仙のコレクションを数多く収蔵しています。歌舞伎の役者絵で知られる春仙ですが、挿絵も多く手掛けていました。「古事記繪はなし、日本乃神様挿絵原画展」(2022.12.3~2022.1.29)は、明治末に発行された子ども向け「古事記」の挿絵原画を展示するもので、役者絵に転身する前の春仙の作風を見ることができます。
南アルプス市立美術館の概要については拙稿をご覧ください。
挿絵画家としての春仙
名取春仙(1886年~1960年・明治19年~昭和35年)は、役者絵に転じる前は挿絵画家として活躍していました。
日本画家として創作を行う一方で、1909年(明治42年)23歳で東京朝日新聞入社しています。1913年(大正2年)に退社するまでに挿絵画家として挿絵や装幀を手がけました。
夏目漱石の新聞小説『虞美人草』や『三四郎』『明暗』『それから』の挿絵を手掛けています。また、当時の朝日新聞社には校正係で石川啄木がいました。その縁で石川啄木の『一握の砂』の装幀は春仙によるものです。
古事記繪はなし、日本乃神様挿絵原画展
『古事記繪はなし、日本乃神様』は1911年(明治44年)子供向けの本として発行されました。春仙は挿絵と装幀を手がけ、文は東京朝日新聞社の渋川黒耳によるものです。館内ではこの復刻本を手に取ることができます。
2階の第1展示室が会場です。『日本乃神様』の挿絵原画133点のうちから55点が並びます。これらはすべて南アルプス市美術館の収蔵品です。
作品には、挿絵となった本文が添えられています。
すべて墨で描かれているのですが、日本画の画風に洋画の構図を取り入れるという春仙の挿絵の特徴のせいでしょうか、全体的にモダンに見えます。『日本乃神様』という子ども向けの読み物であっても、作風はそのままです。
展示室は撮影できませんでしたが、チラシに使用されているカットからも雰囲気だけは伝わるかと思います。
左より時計回りに、
《天の浮橋》下を見下ろすイザナギとイザナミ
《神功皇后》新羅遠征をした女帝
《兎と鰐》鰐サメを騙した海を渡る因幡の白兎
《大蛇現はる》ヤマタノオロチ
《春秋の争ひ》
上段左より
《火の神の誕生》
《桃の手柄》
《鍵穴の神》
《南洋》
下段左より時計回り
《豊玉姫》
《七少女》
《太田田根子》
《海鼠の口》
《衣通姫》
1階の廊下には『日本乃神様』から「かみさまがいっぱい」「どうぶつがいっぱい」として紹介するコーナーが設けられています。
「かみさま」は登場した神や人物について解説を添えて紹介しています。
「どうぶつ」のほうは登場した動物が紹介されています。ウサギ、サメ、ヘビ、カラス、シカ、イノシシのほかナマコなどもいました。
新収蔵作品展
1階の第2展示室では新たに収蔵品に加わった、絵画やブロンズ像など24点を公開しています。
春仙之碑
建物の外には「春仙之碑」があります。山梨に見られる道祖神のような球体をしていて、中央に碑文が刻まれている独特のデザインです。
この碑は2001年(平成13年)の春仙美術館(当時)開館10周年に際し、美術館協力会と桜朧忌実行委員会により寄贈されたものです。
桜朧忌は、春仙の命日の3月30日が桜の満開を迎えたおぼろ月夜だったことにちなんで名付けられたものです。美術館協力会が実行委を組織して行っている顕彰活動です。碑文は、春仙が石川啄木『一握の砂』の装幀を手がけていることから、「一握の砂追想」(1959作)です。
おわりに
シャガールやピカソなど全国巡回の作品展も行う美術館ですが、通常の企画展では非常に静かな美術館です。
受付のあるエントランスの奥は特別展の時にはグッズ販売コーナーに使用されるのですが、通常は休憩スペースとして椅子が並んでいます。
余談ですが、美術館に面する裏側の道路は「廃軌道」と呼ばれるボロ電(山梨交通電車線の通称、昭和37年廃止)の廃線跡です。隣接する「まちの駅くしがた」という農産物直売場の方に確認のため尋ねたら即答でした。
ボロ電については、こちらにも関連記事を載せております。
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