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【山梨県立博物館】企画展「どうぶつ百景ー江戸東京博物館コレクションより」を見に行く(3)

はじめに

 山梨県立博物館にて企画展「どうぶつ百景-江戸東京博物館コレクションより」(2024.7.13~9.2)が開催されました。東京都江戸東京博物館の所蔵コレクションより「人々と動物の暮らし」の歴史と文化について紹介する展示です。
 「前期+後期」で紹介する3回目(最終回)です。
 トップ画像は、「第5章 デザインの中のどうぶつ」よりセルロイドのおもちゃです。

1回目
「プロローグ 外国人が見た日本人とどうぶつ」
「第1章 江戸のどうぶつ「江戸図屏風」」
「第2章 飼育されたどうぶつ」

2回目
「第3章 野生のどうぶつ」
「第4章 見られるどうぶつ―見世物から動物園へ」

3回目(今回)
「第5章 デザインの中のどうぶつ」
「山梨編 おかいこさんと黒駒」
を紹介します。


第5章 デザインの中のどうぶつ

 各時代ごとに動物の意匠は見られます。古くは縄文土器に猪、蛇などの装飾が見られ、飛鳥、奈良時代になると大陸文化とともに鳳凰や龍など想像上の動物のほか、虎や孔雀など外来の動物など吉祥文様として広まりました。平安時代には、和歌や文学が発展する中で動物に季節感や物語の象徴としての意味合いが込められました。
 江戸時代は町人文化が栄え生活用品の中に動物のモチーフが用いられるようになりました。また、19世紀末には動物の意匠は愛玩対象としての可愛らしさが表現されていくようになっていきました。

「第5章 デザインの中のどうぶつ」展示概観

第5章-1 きもの・装身具・身の回りの品々

 ここではきもの、装身具の中の動物意匠を紹介しています。
 江戸時代はきものを媒体として文様が発展しました。四季や縁起物をモチーフとするとともに愛玩対象となった動物のデザインが見られるといいます。江戸中期以降になると装身具にも動物意匠が広がりました。
 また、幼くして亡くなる子どもが多いため、子供の災い避けを願いお守りや護符などが作られのすが、その中にも動物にあやかるものが見られます。

5-1-1 きもの

 振袖、小袖、陣羽織など「鶴亀」「竜虎」「蝶」「燕」の意匠が見られるきものを紹介しています。

(右)緋綸子地腰替松竹梅鶴亀文様染縫絞振袖、江戸後期、前期展示
(中)刺子長半纏龍虎図、江戸末期、前期展示
(左)夜着孔雀模様、明治時代、前期展示
(右)鶸縮緬地御所解文様備前蝶紋付小袖、江戸後期、後期展示
(中)水浅葱絹縮緬地浜松に桜燕模様染縫振袖、江戸後期、後期展示
(左)徳川慶喜所用白羅紗葵紋付陣羽織、江戸末期、後期展示

 この中でも15代将軍徳川慶喜のものとされる陣羽織かあります。蝶が描かれていますが、蝶は幼虫から成虫へと成長するので、武士に人気のデザインでした。同じ図柄で赤色の陣羽織を松戸市戸定歴史館が所蔵しています。

徳川慶喜所用白羅紗葵紋付陣羽織、江戸末期

 続いて「型染」の型紙です。鳥や虫の意匠が見られます。「型染」江戸時代を通した武家、町人の染色技法です。生地に型紙を載せ上から防染糊をおいて、染めると防染糊のところだけ白く文様として残るという仕組みです。

(左上)型紙くもの巣、明治~昭和時代
(左下)型紙茄子に雀、江戸後期~明治時代
(中央)型紙虫かご、明治~昭和時代
(右上)型紙波に千鳥、明治時代
(右上)型紙竹に洋傘、明治時代

5-1-2 簪、櫛

 続いて、こうがい、櫛など女性の装飾品を紹介しています。
 簪は耳かきの形をしたうえで動物などの意匠がみられます。これは幕府から華美にすることを禁じられていた時代のもので、耳かきの形にして誤魔化した、あるいは実際に耳かきだったと、諸説あるといいます。

簪、櫛などのケース、前期展示
簪、櫛などのケース、後期概観
銀燕藤花簪、19世紀、前期展示 (ピンボケ御免)
銀珊瑚飾梅鴬鈴付びらびら簪、19世紀、前期展示
銀供餅に鼠丸に片喰紋飾簪、江戸~明治時代、前期展示
銀撥耳蓑亀彫簪、19世紀、後期展示
銀蝶珊瑚入花びらびら簪、19世紀、後期展示
真鍮宝尽簪、19世紀、後期展示


鼈甲蝶紅葉飾耳掻簪、19世紀、前期展示
(上)銀鶉鳥篭小花飾簪、19世紀、前期展示
(下)銀鍍金俵に鼠飾簪、明治時代、前期展示
(上)銀雲鶴彫平打簪、19世紀、後期展示
(中)銀錨に燕滝彫琴柱足替簪、19世紀、後期展示
(下)銀足彫刻付象牙月に雁簪、19世紀、後期展示
(左)銀鼈甲歯差込吉祥図飾櫛・笄、明治時代、前期展示
(右)黒漆塗稲穂文様金蒔絵櫛・笄、1924年(大正13年)、前期展示
(上)鼈甲台貝金銀象嵌群蝶櫛、19世紀、後期展示
(下)鼈甲群蝶彫櫛、19世紀、後期展示
(左)黒鼈甲台雲竜文櫛、江戸末期、前期展示
(右)木台月に時鳥泊り船蒔絵櫛、明治時代、前期展示
(左)木台花丸散蒔絵櫛、19世紀、後期展示
(右)木台松鶴蒔絵櫛、19世紀、後期展示

5-1-3 たばこ入れ

 続いて、たばこ入れにみられる動物装飾です。江戸時代、南蛮由来の金唐革とった装飾革によるたばこ入れが流行しました。しかし庶民の手の届くものではなく江戸時代中期以降、紙、漆といった材料で作った装飾革で作られるものがでまわったといいます。

たばこ入れ、前期展示
(左)桟留革腰差したばこ入れ・煙管、明治時代、前期展示
(右)金唐革腰差したばこ入れ・煙管、明治時代、前期展示
(左)刺繍藤に猿図懐中たばこ入れ、江戸時代、場面替え前期
(右)木綿相良繍松に桐文腰差したばこ入れ、明治時代、前期展示
(左)甲州印伝唐草染革腰差したばこ入れ、明治時代、前期展示
(右)ペルシア更紗花文一つ提げたばこ入れ、文晁留具/作19世紀、前期展示
たばこ入れ、後期展示
(左)金唐革花文一つ提げたばこ入れ、明治時代、後期展示
(右)桟留革腰差したばこ入れ・煙管、明治時代、後期展示
(左)松鶴文緞子一つ提げたばこ入れ、19世紀、後期展示
(右)刺繍藤に猿図懐中たばこ入れ、江戸時代、場面替え後期
(左)桟留革腰差したばこ入れ・煙管、明治時代、後期展示
(中)古渡インド更紗唐草文腰差したばこ入れ、明治時代後、後期展示
(右)爪菖蒲革腰差したばこ入れ、19世紀、後期展示

5-1-4 印籠

 続いて、印籠に見られる動物、虫の意匠です。

印籠、前期展示
印籠、後期展示
(左)群馬蒔絵印籠、江戸後期、前期展示
(右)鸚鵡蒔絵印籠、江戸後期~明治前期、前期展示
(左)昆虫蒔絵螺鈿印籠付足軽木彫根付、江戸後期、前期展示
(右)鶏竹蒔絵印籠、明治時代、前期展示
(左)蜘蛛巣蒔絵印籠、19世紀、前期展示
(右)波に千鳥蒔絵印籠付千鳥型象牙根付、19世紀、前期展示
(左)雉芙蓉蒔絵螺鈿印籠、江戸後期、後期展示
(右)亀蒔絵印籠、江戸後期、後期展示
(左)松蝉蒔絵印籠、江戸後期、後期展示
(右)梅鷹蒔絵印籠、江戸後期、後期展示
(左)龍虎蒔絵彫印籠、江戸後期、後期展示
(右)兎竹木賊蒔絵印籠、江戸後期、後期展示

5-1-5 袱紗

 続いて袱紗です。袱紗は、贈答品の上に掛けたり包んだりするために使用される布です。刺繍にて吉祥柄など施したり、舶来品の布なとが用いられました。

展示室概観
竹雌雄鶏図袱紗、江戸後期、前期展示
綿天鵞絨地掛袱紗、19世紀、後期展示

 続いて、「増上寺台徳院様御霊屋々内装飾指示原図」は2代将軍秀忠の霊廟屋に施された装飾の下図です。詳細は不明とのことで、修復の過程で作成されたものと考えられるといいます。

増上寺台徳院様御霊屋々内装飾指示原図、寛永期、場面替え前期
増上寺台徳院様御霊屋々内装飾指示原図、寛永期、場面替え後期

5-1-6 灯り

 続いて、灯りをともす道具に見られる動物意匠ですが、「鼠短檠もずみたんけい」は鼠の口もとから、サイフォンの原理で油が受け皿に補給されるようにしたものです。

鼠短檠、江戸時代
鼠の口もとから油が補給される

 続いて、燭台が4点展示されています。ろうそくは、仏教伝来とともにともに日本に伝わったといわれています。江戸時代には、仏具としてだけでなく、室内の照明用として広く使われており、燭台の意匠に動物が用いられることもあったといいます。

蛙燭台、江戸後期
鶴亀燭台、19世紀
蝉燭台、19世紀
獅子燭台、19世紀

 こちらは「小田原提灯」です。提灯は携帯用の灯火具で、こちらには馬の絵が描かれています。

小田原提灯、江戸後期~明治前期

 こちらは、墨田川焼によるゆりかもめ(都鳥)を象った食器と菓子用木型です。
 木型は金華糖(砂糖を溶かし固めた菓子)製造のためのものでです。木型には招き猫、鯛、伊勢海老、蛤、大根、松茸などです。墨田区内の菓子店で戦後期に使用されていたものです。

(左)隅田川焼向付(都鳥)、明治時代
(右)菓子用木型招き猫(特大・大・中・小)、昭和中期

5-1-7 疱瘡絵、玩具絵

瘡絵絵の概観、後期展示

 「蚊遣り」は中に除虫菊の成分を練り込んだ蚊取り線香を設置して煙をたてたものです。
 「赤羅紗小犬文守袋」「つまみ細工金魚形守袋」は守り袋で守りと迷子札を入れるものです。

(左)猫の蚊遣り、昭和前期
(中)赤羅紗小犬文守袋、江戸~明治時代
(右)つまみ細工金魚形守袋、江戸~大正時代

 続いて、「疱瘡絵」「赤絵」と呼ばれるものです赤の色刷り版画です。
「赤」には魔除けの意味があり、疱瘡は致死率が高いため発病すると「赤絵」を家に貼って病気退散を願ったといいます。みみずく、兎、猫など耳や目に特徴のある動物を描いているのは、耳や目に後遺症がのこらないことを願ってのものです。

(左より)歌川国芳《疱瘡絵みみづく》1812年~60年(文化9年~万延元年)、前期展示
歌川国芳《疱瘡絵兎》1812年~60年(文化9~万延元年)、前期展示
歌川芳盛《新板虫尽し》1853年~57年(嘉永6年~安政4年)、前期展示
《しん板けものづくし》1863年(文久3年)、前期展示
(左より)歌川芳虎《疱瘡絵鯛車》江戸末期~明治時代、後期展示
《疱瘡絵玩具尽》江戸後期、後期展示
歌川国利《しん板ねこづくし》江戸末~明治後期、後期展示
《しんはんとりつくし》江戸後期~明治時代、後期展示
歌川国芳《疱瘡絵みみづく》1812年~60年(文化9年~万延元年)、前期展示
歌川国芳《疱瘡絵兎》1812年~60年(文化9~万延元年)、前期展示
歌川芳虎《疱瘡絵鯛車》江戸末期~明治時代、後期展示
疱瘡絵玩具尽》江戸後期、後期展示

 「玩具絵」と呼ばれ子供向けの木版画です。とくに本展のものは「もの尽くし」とよばれ、ある題材に関連するものを収めたものです。

歌川芳盛《新板虫尽し》1853年~57年(嘉永6年~安政4年)、前期展示
《しん板けものづくし》1863年(文久3年)、前期展示
歌川国利《しん板ねこづくし》江戸末~明治後期、後期展示
《しんはんとりつくし》江戸後期~明治時代、後期展示

第5章-2 人形・おもちゃ

 7世紀頃にはすでに存在していたとされる玩具ですが、子供向けとして庶民階層まで広まったのは江戸時代以降とされています。また、子供の成長を願う縁起ものや、病気にならないよう願いを込めたものなども見られます。
 人形・おもちゃについては、前期後期の展示替えはありません。

ブリキ、木製、セルロイドの玩具

5-2-1 郷土玩具

 虎の形をした玩具は「ずぼんぼ」と呼ばれ浅草寺の境内で売られていた郷土玩具です。和紙で作られており、下から風で扇ぎ揺れる動きを楽しんだといいます。

「ずぼんぼ」昭和中期

 また、「とんだりはねたり 」は江戸中期に成立したミニチュア玩具 で、竹の台は内部が竹を巻いてバネ状になっていて、人形の頭にある被り物を飛ばす仕組みになっています。 「猿蟹合戦」や月で餅をつくうさぎといった昔話や言い伝えが意匠に用いられています。

「とんだりはねたり」昭和中期

5-2-2 今戸土人形、犬張り子

 続いて壁ケースには「犬張り子」と「今戸土人形」が展示されています。

犬張り子と今戸土人形のケース

 「犬張子」は和紙で作られた犬の玩具です。江戸時代から生産されるようになり、現代でも土産物や子供の健康と成長を願う贈答品して作られています。犬はお産が軽く多産のため安産の象徴としても親しまれました。

「犬張子」昭和時代

 「今戸土人形」は、墨田川沿岸の今戸で作られた今戸焼の土人形です。今戸焼は元禄の頃より瓦、植木鉢、土鍋など素焼きの道具類が作られています。展示資料はすべて「尾張屋」金沢春吉が制作したもので、1945年(昭和20年)まで作られ浅草で土産物として売られていました。また、狐の人形は稲荷神社へ奉納する需要があったといいます。

いろいろな「今戸土人形」
(左)「今戸土人形 虎(大)」大正時代~昭和初期
(中)「今戸土人形 てっぽう狐」大正時代~昭和初期
(右)「今戸土人形 もちつきうさぎ 」大正時代~昭和初期
(左)「今戸土人形 秋田犬 」大正時代~昭和初期
(中)「今戸土人形 子持猫」大正時代~昭和初期
(右)「今戸土人形 招猫 」大正時代~昭和初期
(左)「今戸土人形 子持狐 」大正時代~昭和初期
(中)「今戸土人形 客寄狸」大正時代~昭和初期
(右)「今戸土人形 月見うさぎ」大正時代~昭和初期
(左)「今戸土人形 とら(中)」大正時代~昭和初期
(中)「今戸土人形 徳利狸」大正時代~昭和初期
(右)「今戸土人形 うま」大正時代~昭和初期
(左)「今戸土人形 犬」大正時代~昭和初期
(右)「今戸土人形 丸〆猫」大正時代~昭和初期
(左)「今戸土人形 口入稲荷」大正時代~昭和初期
(右)「今戸土人形 大黒天」大正時代~昭和初期

5-2-3 ちりめん細工

 続いて「ちりめん細工」の動物です。ちりめん細工は江戸時代の後半、武家や商家の女性たちによって、着物の残り布を利用して、袋物や小箱などが作られるようになりました。
 人形や動物などをかたどったものは 玩具のほか御守りに使用されたようで、赤には魔除けの意味を込められていました。

「縮緬細工 ひよこ 雄鶏 雌鶏」明治時代
(左)「縮緬細工 たこ 」明治~大正時代
(中)「縮緬細工 鯛 」大正時代
(右)「縮緬細工 金魚」明治~大正時代

5-2-4 ブリキ、木製、セルロイドの玩具

 壁ケースには、ブリキ、木製、セルロイドなど時代ごとの素材でつくられた動物意匠の玩具が並びます。
 まずは、セルロイドの玩具です。セルロイドは19世紀にアメリカで開発されたプラスチックの一種です。日本で20世紀初頭より国産化に成功し、1910年代からセルロイド玩具の生産が活発になりました。

 「セルロイド玩具 犬」20世紀
 「セルロイド玩具 犬」20世紀
 「セルロイド玩具 カサ付アヒルの乳母車」20世紀
 「セルロイド玩具 犬」20世紀
 「セルロイド玩具 ガラガラアヒル」20世紀
 「セルロイド玩具 アヒル」20世紀
 「セルロイド玩具 犬」20世紀
 「セルロイド玩具 ラクダ 」20世紀
 「セルロイド玩具 ロバ」20世紀
 「セルロイド玩具 ライオン」20世紀

 続いて「木製玩具」です。木材による玩具は奈良時代からあったと考えられているといいます。江戸時代まで玩具は木製で作られ、明治時代からは西洋の影響を受けた木製の玩具が登場します。

 「木製玩具 黒猫」20世紀
 「木製玩具 猫」昭和時代

 続いて「ブリキの玩具」です。音を鳴らすもの、ゼンマイ仕掛けのものなど特徴があります。ブリキは江戸時代から茶道具などとして輸入が始まりました。玩具が作られるようになったのは幕末頃からで明治時代以降は西洋から輸入したブリキ製玩具を手本として加工技術を発展したといいます。

「 ブリキ玩具 飛びバッタ」20世紀
「 ブリキ玩具 てんとう虫」20世紀
「 ブリキ玩具 猫」昭和時代
「 ブリキ玩具 金魚」20世紀
「 ブリキ玩具 鰐」20世紀
「 ブリキ玩具 蝉」20世紀
「 ブリキ玩具 蝉」20世紀

 最後は、貝合わせの道具(複製品)です。貝合わせは、武家や公家の婚礼用品とされていました。二枚貝の蛤は別の蛤とは形が合わないことから、婚礼の縁起ものとされていました。
 縁起物や古典作品をモチーフにしたものが多いといいますが、本品は大半が鳥が描かれているところに特徴があります。

 「黒塗桐鳳凰文様金銀蒔絵貝合道具(複製)」江戸末期(原資料)
鳥をモチーフにしたものは珍しい

山梨編 おかいこさんと黒駒

 ここからは山梨会場の特設展示です。山梨と関わりの深い「どうぶつ」として馬と蚕に関する資料を紹介しています。
 古代伝承のひとつ「甲斐の黒駒」と、近代において盛んだった養蚕について紹介しています。このコーナーは山梨県立博物館が所蔵する資料のため撮影不可になっております。

 「甲斐の黒駒」とは、古代甲斐が良馬の産地であったことから中央へ貢上された駿馬を指すもので、ヤマト王権との関わりを示す伝承として有名です。
 展示資料の《聖徳太子黒駒登岳図》は、聖徳太子が甲斐国から献上された黒駒にまたがって奈良の都から富士山まで飛んだという伝説を描いたものです。

《聖徳太子黒駒登岳図》室町時代
出典 : 山梨県立博物館HP

 また、戦国時代には、無敵の騎馬軍団として甲斐の馬が名を馳せました。江戸時代の錦絵がありますが、川中島合戦など人気のあった題材でした。

歌川芳綱《川中嶋勘助勇戦ノ図》1852年(嘉永5年)
出典 : 山梨県立博物館HP

 一方、江戸中期より甲斐では、養蚕が盛んでした。昭和40年代になると外国から安い生糸が入って来たことにより養蚕は廃れ、養蚕農家は換金性の高い果樹栽培に転換したのです。
 さて、資料には、猫が描かれたお札があります。養蚕農家にとって蚕や繭を食い荒らすネズミが最大の敵でした。猫を飼っていたり、ネズミよけのお札を蚕室に貼るなど養蚕にも動物が関わっていたことを示しています。

お猫さんのお札、2004年(平成16年)
出典 : 山梨県立博物館HP

ミュージアムショップ

 ミュージアムショップです。図録のほかにはクッキーやぬいぐるみといった定番商品です。

図録が平積み面陳列
国立科学博物館のようなぬいぐるみ

 面白いと思ったのものに「おかいこさんチョコ」があります。ただし再現度が高すぎて食するには向かない気がします。

ちょっと食べにくそう・・・

おわりに

 夏休みに合わせた企画展でしたので、今頃の紹介となりたいへん遅くなってしました。
 江戸東京博物館の収蔵資料が大量に貸し出されるとあって興味深いものでした。さらにほとんんどが撮影可能という大盤振る舞いもあって記事にしていたらたいへんな分量となり、3回に分けての紹介といたしました。お付き合いいただきありがとうございました。

夏の日差しの頃

参考資料
山梨日日新聞
「江戸のどうぶつたち 山梨県立博物館企画展から1」2024.7.27
「江戸のどうぶつたち 山梨県立博物館企画展から2」2024.8.3
「江戸のどうぶつたち 山梨県立博物館企画展から3」2024.8.10
「江戸のどうぶつたち 山梨県立博物館企画展から4」2024.8.17
「江戸のどうぶつたち 山梨県立博物館企画展から5」2024.8.24

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