【昭和町風土伝承館杉浦醫院】地方病の「記憶」を伝え残す資料館(7) 庭園のモミジ(2023.11.24)
はじめに
昭和町風土伝承館杉浦醫院は、地方病(日本住血吸虫症)の解明と治療に貢献した杉浦健三、三郎父子の医院だった建物であり、地方病を後世に伝えるための資料館です。杉浦醫院の庭は、医院の時代から紅葉の名所として地域で親しまれてきました。
別の紅葉記事でも触れましたが、今年は甲府盆地の紅葉が不順です。杉浦醫院のミモジも色づいてまいりましたが色づきが薄かったり、まだ緑色のままの木も一部にはあり、例年とは違う状況です。それでもしっかり赤く色づいたミモジが見られるようになってきました。
なお、地方病と杉浦醫院に関する詳しい紹介はこちらをご覧ください。
杉浦醫院の庭園
かつて杉浦醫院の周辺(西条新田)は農地で建物もなく、1000坪の敷地を持つ医院は欅の大木に囲まれていたため「森の病院」(西条の森)とも呼ばれていました。
1972年(昭和52年)杉浦三郎博士の死去により医院は閉院し、その後、2010年(平成22年)昭和町風土伝承館となり医院跡が公開されると、庭園は町の公園という位置づけになりました。そのため、杉浦醫院の開館時間に関係なく敷地内への出入りは自由になっています。散歩のコースにされている方も多いようで、筆者が紅葉を見に伺ったときにも池の前で休憩されているご年配の方たちがおられました。
敷地内には、ミモジや欅などの広葉樹のほか、薬木も植えられています。健造博士が西洋医学を志すまで、杉浦家は漢方医の家系であったため、薬草、薬木を植えて利用していたのです。
周囲が宅地化された現代において、杉浦醫院の庭園は、春は桜、秋はモミジなど季節ごとの植物を見せてくれる貴重な場所になっています。
正面から
まずは正面の入口からです。道路の向かいに第一駐車場がありますので、徒歩で入ります。正面の脇にあるモミジは真っ赤に色づいて迎えてくれます。
115年かかった地方病との戦いの終息を宣言した地方病流行終息の碑も静かに紅葉の庭を見ています。
第二駐車場から
母屋の近くでもとは竹藪だったところが駐車場として整備されています。主要幹線道路アルプス通りから訪れる場合にはこちらに車を停めるのが便利です。公園としての公衆トイレも整備されています。
母屋の紅葉
近年まで、母屋には杉浦三郎博士の長女の純子さんが住んでおられました。母屋にも日本庭園があり、飛び石や石灯籠があります。
現在非公開となっている母屋は修繕工事のためでしょうか、足場やシートで一部覆われています。
実は母屋の周りの木々を全体的に画像に納めるとこのように色づきの良くない木がわかってしまいます。
ホタル池
かつては源氏ホタルの群生地だった昭和町ですが、地方病(日本住血吸虫症)の予防対策により野生のホタルは絶滅しました。ホタルが自生できる環境を整えようと毎年ホタルの幼虫をこの池に放流してます。5月中旬になるとホタルの光を見ることができます。
休憩用に陶器で出来た腰掛けがあり、近くにモミジの生け垣があるのですが、こちらは全く色づいておりませんでした。
杉浦醫院のホタルについてはこちらをご覧ください。
土蔵の風景
裏にある土蔵(四方山ギャラリー)や納屋の辺りには柿の木が数本あります。葉はすっかり落ちてしまいましたが、その分、柿の実が色鮮やかに残っています。しかしこのまま鳥たちのえさになってしまいそうです。
杉浦もみじ伝承の会
この時期の恒例の催しとして「杉浦もみじ伝承の会」が行われています。今年は4年ぶりに開催され晴天のもと「第7回 杉浦もみじ伝承の会」(2023.11.26)が行われました。
着物学院の先生が中心となり、着物を着たり、茶の湯楽しんだり、フリーマーケットの出店もある紅葉と和をコンセプトにした催しです。
筆者も少しの時間でしたが立ち寄ってまいりました。
臨時駐車場から会場へ向かう道すがら富士山が見えました。
キッチンカーやフリーマーケットなどおよそ40店の出店があったそうです。フリーマーケットは和にちなむものが中心です。
建物の裏手にもお店が並びます。テーブルがあって購入して飲食もできます。
手作りの布バッグや竹籠を物色しました。
かつて杉浦醫院に医療機器を納めていた甲府のマルヤマ医療機器(閉業)が出店していました。薬瓶とビーカーを購入してしまいました。薬瓶は機密が高いので調味料を入れに、ビーカーは耐熱なので計量カップに使えそうです。底はザラザラと滑り止めがついてます。
おわりに
杉浦醫院での紅葉のピークはこれからだといいます。まもなく12月になろうかというのに、こんなに遅い紅葉は例がないと思います。
それでも「杉浦もみじ伝承の会」が今年は開催され、ふだんの園内を散歩するご近所さんがいて、かつて人々を苦しめた地方病と戦った医院は、紅葉を楽しむ交流スポットととしても愛されています。