【‘‘思考のデッサン‘‘】
思考する前に、思考の型をデッサンすることは大切なことなのではないかと考え始めるようになりました。
思考のデッサンとは何か?
思考のデッサンという言葉は、そもそも存在しない言葉であり私なりに考えた造語であります。
例えば、本を読むにしても、映画を見るにしても、音楽を聴くことにおいても、思考する以前に思考の型というものが違っているものだし、型にはまったものではないと、思考する場合、物事を思考する機能が発揮されない問題が起きてしまうのではないかと考えられます。
私が過去に記した『知力を磨く』は、それぞれ思考の型にはめられるように状況や場面に応じて対応出来る仕組み化として記したものでありますが、そうしたことも踏まえて、思考をデッサンする為の型をかたち作るという行為は極めて大切になってくるのではないかと思います。
デッサンする為には、創造力や発想力が求められますが、思考の型を形成する以前にもそうした能力を育むことは重要視しなければいけないことだとは感じます。
創造力や発想力に関してのノウハウは、私の記した記事でもいくつか書き記したものがあると思うので目的に沿った記事として参照して頂けたら幸いです。
【‘‘知力を磨く’’】から【‘‘知力の体系化’’】そして、原点となる【‘‘知力の歯車’’】へと経て、思考という行為は包括的な意味を含むスキルであるのではないかと考えられます。
知識と教養が異なる性質を持つのと同じく、私たちの考える知性の認識もまた変わってくるだろうと思います。
何かを生み出すことは、必要以上のエネルギーを消費するものがあります。
自分の中から最大限まで絞り出して、創造することの楽しさと学びには自己成長への一歩でもあると思いますし、書き終えた後の達成感、充実感というのは言葉では表現出来ないような喜びがあることをここまで続けていく中で、理解してきたことでもあります。
言葉の迷宮に迷いながらも、その先にあるゴールへ向けて突き進むことだけを考えれば、また新たな課題を見つけて、新しいスタート地点へと立ち、思考することから始めていく。