【‘‘識ることの緒論’’】
-我々は何故、学ぶのか。識るということについて-
学生の頃を振り返り、意欲的に勉強をすることを拒んでいた自分を思い出すことがありました。
学校で習う授業科目や受験勉強に身が入らないことは誰しもあるのではないかと思いますが、それは純粋に勉強することが苦痛だと感じていたからだと思います。
得意科目を勉強している時間は苦痛ではないけれども、苦手科目を勉強している時間は苦痛でしかないことは日常茶飯事でありました。
元々は文系資質であり、大学も私大の文学部だった自分にとっては理系科目は受験科目として初めから視野にいれていなかった為に、高校生活での理系科目は定期テストや校内テストだけを対策して赤点だけは取らないように気をつけることのみを心掛けていました。
受験シーズンになるにつれて、高校の2年生で文系と理系のクラスに分かれて、志望校に特化した受験プログラムで勉強を進めるというカリキュラムであり、私自身は志望校や学部も受験日までに科目も英語と国語、世界史に絞って自分なりに傾向や対策に合わせて勉強を進めていたので、無事に現役で大学には合格出来ましたが、理系科目や受験外の文系科目も大学に合格する目的の為とはいえ、そこまで勉強していなかったことを社会人になってから少し後悔しているところもあったりしています。
小学校、中学校、高校へまでの間で私たちは学校の先生たちや塾の予備校講師の方などから学ぶことは勉強でいうところの知識であり、時にはこれからの人生を歩んでいく為の人生観であったり、道徳心というものを学ぶことがあるだろうと思います。
大学へ進学したり、社会人として働くにあたり、私たちはそれ以降も学び続けることが今後ともあると考えています。
それは、知識ではなく、広く一般的に言えば二つあると思っています。
それは、知性と教養であると考えられます。
知性とは、物事を知り、考え、判断する能力を指す言葉であります。
教養とは、学問や幅広い知識、物事に対しての理解力や創造力を指す言葉です。
私たちの知的創造を育む活動は、勉強も当てはまるが、読書も部類されるだろうと思います。
例えば、学校の夏休みなどの課題図書や読書感想文など、教師からのススメで、この本は面白いから読んでみなさいと勧められ、本を読むことを強制させられることも度々あるだろうと思います。
本を手に取るきっかけとしては良い手段だろうと思いますが、読書は自分の意思で好きな本を読みたい本をどんな繋がりでも関係なく、好奇心のままに読むことこそが重要であると私は考えています。
昔と今を比べると、普段からの読書習慣はありますが、社会人として働き出すと、会社での疲れなどを抱えて家に帰ってからだと読むことが難しくなってしまうケースがあり、私自身も読書量は格段と落ちてしまったことは自覚しています。
社会人になってからは、後で空いた時間にでもゆっくり読み返せるように、付箋を貼ったり、メモをとったりしながら読み進める方法を取り入れています。
そうすることで、重要な部分と重要ではない部分がしっかりと線引きすることが出来ますし、重要でない部分は覚える必要がない分、読書時間を短縮させたり、読書における負担も軽減出来るものだと考えています。
忘れないようにする為、それを補う為には再読こそが重要であると思います。
読書というものを一種の勉強として考えてしまうと読書という行為すらも苦痛でしかなくなります。
知性や教養を育む為の読書では何が重要か、それは自分なりに考えること、創造することである。
学校の試験でいうところの暗記すること、覚えたことを正確に取り出すことは社会に出てからだと通用しないことの方が多いと思います。
私にとって知性や教養として取り入れたものは書くことによって創造されたものは形を変えて記録されます。
今のところ、思い付いたことは直接noteに書き込み、その一瞬で感じた感動を逃さない為に時間を出来るだけ置かないようにしています。
noteとは別のメモにメモは残さないようにしていて、note以外ではメモをすることはほとんどありません。
学生時代でよくノートをとったり、メモをとったりすることで満足する、安心してはいけないことだと思いますし、思考を整理する為のノートの取り方やメモの取り方などを変える必要があります。
そもそも、勉強と学問というのも根本的に異なるものがあり私たちは識ることを肝に命じ、識る力を養っていかなければいけません。
第一に、識るとは何か。
識るとは、頭に納められたものを培うことであり、私たちが理解している知るという言葉とは意味が異なるものであります。
知ることは、見たり触れたりしたものを頭に納めても忘れてしまうことがありますが、識るとは知るを発展的な意味へと変換させた言葉であって、大人にとっての学びはまさに識るということです。
識る力は、自分で新しい問題に取り組む力といったことや物事の洞察力を磨くことにあると考えています。
自己啓発としての生き方を変える為の読書、ビジネスパーソンとしての教養を育む為の読書など、様々な目的意識を持った読書が必要以上に迫られている危機感というのものが常にあったりします。
その為に、識るということを心から大切にしていくべきだと思いました。
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