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【‘‘映画について考える’’】

-何故、人は映画を見るのか?/ある映画論について-

最近は、読書よりも映画を見ることに時間を割いていることがあります。
人生において、映画は自分にとってはそれほどの重要な存在価値を占めているとは思えないし、むしろ本を読むことの方が人格形成にとって大きな役割があるとこれまで思っていました。
ですが、そうした思い込みは単なる間違いに過ぎないことだと感じました。
映画作品を劇場で見るのと、テレビやスマートフォンの画面で見るのとでは、同じ映画であっても後から感じる感動やカタルシスなどが全く変わってくるものだということを痛感することがありました。
こうした違いというのは、読書においても似たような現象が起きることがあるなと考えさせられることがありました。
例えば、新刊で買った本と、古本屋で買った本、あるいは図書館で借りた本を読む場合、読むことの習熟度というものが変わってくるものだと私は思います。
時間とお金をかけたものに対しては、それに釣り合う為に自分自身が無意識の内に、鑑賞する上でその作品に対しては集中力が注ぎ込まれており、たとえ面白い、面白くない作品であったとしても対価に見合うように作品構造を俯瞰して、そこから自分なりの解釈を加えることに努めようとする働きが起きます。
そのような働きによって、自分なりの考察をまとめることが出来た作品に対しては特別な思い入れのある作品へと価値が変わるだろうと感じています。
映画に置き換えると、面白い映画や面白くない映画など、見る側にとっての受け取り方によって映画の見方というのは異なるものだと思います。
何故、私たちは映画を見るのかということをテーマに考えてみようとすると、それは現実とはまた別の世界、人生をこの身を通して体験してみたいという欲望が潜在的にあるからなのではないかと感じます。
映画を見続けることで、読書では得られないものが必ずあるものだと感じますし、またその逆も同様だと思います。
読書が好きな人たちや映画が好きな人たち、好きなものに対する媒体やそれに注ぎ込む熱量というものも、人それぞれではありますが、人生にとってこれだけは大切だと思える作品に出会う度に、人はどこまでも成長していくことが出来る、そう思いました。

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