【‘‘いまさら、読書離れと言われても’’】
しばらく、読書をしていない。
仕事が繁忙期だとか、体調が良くないとかではなく、読書から離れてしまっているという状態であります。
何故、読書から離れてしまっているのかというと、自分の中の興味の対象が本から映画へと変わっているからだろうと思います。
読書自体にまったく関心を示さなくなったわけではなく、気になって買った本はどんどん積ん読本として積まれています。
書店へ寄ると、つい面白そうな本を買ってしまうのだか、買ったばかりの本は読まず、映画を見ることが優先順位としては高いです。
今になって読書離れになってしまったというのは変な話ではありますが、昔と今とを比べると確実に読書を楽しめなくなってしまっているなという感じがあります。
SNSでの読書コミュニティの中で、読書好きの人たちの感想やおすすめの本を紹介しているのを見たりして、読書の魅力は見失ってしまわないように維持しているつもりはあります。
あとは積極的に書店や図書館に通って、面白そうな本が並んでいる本棚を眺めたり、図書館でやっている読み聞かせで子供たちが熱心に物語に夢中になって聞いている姿勢を見ると気持ちが嬉しくなることがあります。
本を読むには、それなりに体力がいりますし、知らない内に体力を消費するものだと思います。
初見で自分の知らない情報を取り入れるという作業はかなり時間のかかることでもありますし、咀嚼して解釈するということはなかなか容易ではありません。
最近、読書好き界隈でも話題になっているガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』は私も流行りにのって発売日に買いましたが、ようやく六分の一ぐらいまで読み進められたという感じであります。
読書から離れて映画を見ること、鑑賞眼へとギアを変えているのでいざ本を読もうと思っても思うように本を読むのに時間がかかりますし、理解へと繋げるのが難しく感じてしまいます。
いまさら、読書離れと言われても世間の人たちから見ればどうでもいいことだと思えます。
ただ、無関心になったのではなく、私の中の読書愛が再び戻ったら、それはまた読書に夢中になるだろうと感じます。
ですが、本や映画の中の物語に私は寄り添い、物語を体感し味合うことの喜びや楽しさだけは常に求めていると思っています。
読む行為から、見る行為へ。
作品への向き合い方が変わっても物語から何かを得たいという欲求は私の中に内在している。