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【‘‘超アウトプット主義’’】

最近、noteを書く為に本や映画を見ているのかと強制的に書くことを自分で強いているのではないかと考えることがありました。
noteを書くにあたり、ストックというものがあるかないかということは月によって違います。
別に毎日、noteを投稿しなければいけないと義務づけしているわけではなく、書く月と書かない月というのは自分のコンディションや感覚に応じて決めたりしています。
毎日書くということはかなり大変なことだろうと思いますし、仕事勤めをしながら記事を書いてどんどん投稿していくというスタンスが向いていないからだと私なりに考えています。
毎日投稿をするということは、自分にとってはストレスを感じることのように思いますし、適度な余白時間というのが必要だと考えています。
何もない状態から何かを発想するという行為は想像以上にエネルギーを消費するものがあります。
書き続けることや発想することに慣れていて、毎日それが習慣的になっているならば別であると感じます。
書きたいことがあれば、書きたいことを全力で思う存分書けばいいと思いますし、強制的にアウトプットする必要はないと考えられます。
ただ、本や映画から得たものをすぐさま熱量が冷めてしまわないように形として残すということは重要なことだと思います。
アウトプットを継続することはかなりハードルの高いことだと思いますが、アウトプットへと変えるまでの負担を自分なりに考えて軽減させるコツが求められるのではないかと感じます。
毎日記事を投稿しなくても、月に一つや二つだけでも投稿出来ていれば上出来だと思います。
量産することを目的として考えるのではなく、一人でも多くの方に共感してもらえるような記事を書くことが書き手には求められるのではないかと感じます。
アイデアの原型になるものを見つけたら形が崩れてしまわないように優しく包み込み保護するアプローチのようなことが大切なのではないかと思いました。

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ゴロウ@読書垢/Noter
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