【感想】ドラマ『孤独のグルメ』
-『孤独のグルメ』にみる、井之頭五郎が食す料理はは何故、美味しいそうに見えるのか/全作を通しての考察-
毎年の大晦日の恒例である「孤独のグルメ」を見るのが私にとっての日課でもあり、過去に放送した再放送なども翌日には放送されるとついつい時間を忘れて夢中で見てしまうところがあり今回のスペシャル番組も大変面白く見させて頂きました。
物語の主役である井之頭五郎は食を愛しており、一人孤独に料理と向き合い食事を行う。
いつもドラマを見ていると、五郎さんの食べる料理は何故あんなにも美味しそうだなと感じるのかという疑問が以前からありました。
五郎さんが食事を行う場所としては、街の小さな定食屋さんであったり、中華屋さんや居酒屋さんなど、誰もが馴染みのある飲食店であったりと高級料理をもてなすホテルや三ツ星レストランなどでは食事は行いません。
私たちが食事をする場合、それは味覚よりも以前に視覚や嗅覚などの器官によって、見た目によってまず脳が料理の味覚をイメージするところから始まります。
例えば、高級レストランなどに提供される料理を振る舞われる時、視覚的に料理を判断して美しい芸術的な料理を見てから美的なものだと感じられても、食したことのない料理を見ただけでは味の想像は難しいし、いざ食してもこの料理が三ツ星レベルの料理であると自らが納得して判断することはとても難しいものだと考えられます。
私たちの味覚から舌によって感じられる味覚の分類は、甘味や塩味、苦味、酸味、うま味の以上の五つであります。
味覚の主観はあると思いますが、料理を口にして舌から食材や調味料などの味をつくりだしている味覚を脳へと伝達させます。
見た目からして美味しそうな料理を見て食べてもいないのにこの料理は美味しいと判断するのは、人間の備わった機能である多感覚知覚による働きが原因なのではないかと考えられます。
多感覚知覚とは、例えば視覚や嗅覚、または触覚などが協働して味覚に錯覚が起きるというものであり、分かりやすく言えばグルメ評論家の評価や食べログのレビューなどの事前情報を入れた状態で他の器官の働きによって、多感覚知覚が働き、個人の好き嫌いという主観に関係なく美味しいと誘導されるメカニズムがまさにそれであります。
ですが、そうした食に対する評価を気にせずに「孤独のグルメ」で描かれる五郎さんは純粋に食べたいものを食べて食を楽しむところに視聴者の人たちは彼の姿に共感を覚えます。
知らない土地をぶらぶらと探索しながら、目につく飲食店を物色して、今の自分は何が食べたいのかということを自らに問いかけているところも見ていて楽しいところでもあります。
「孤独のグルメ」は五郎さんが食べたい店を探しだすところから食の探求は始まっており、 一人で食事することに孤独感を感じることなく、食事と向き合い楽しんでいることが窺えます。
各地の料理を食べ歩き、私たちに一人でも楽しめる食の魅力を本作では描いているのではないかと考えさせられるものがあります。
「孤独のグルメ」には前述で述べた通りの食に関する知識や理論といったものがなくても永遠と見ていられるのも五郎さんの人間性もまた魅力であるからなのではないかと考えられます。
五郎さんにとっての食事というのは、孤独を感じる為にあるのではなく、美味しいものを食すことによって孤独を癒やしているところも見てとれるのではないかと思ったりもしました。
食事中の一人の時間から、五郎さんの食に対する評価やセンスといったものは視聴者である私たちの客観性によって左右されるものであったりします。
そして「孤独のグルメ」から見えてくるものの一つとして、五郎さんのような食を楽しむ一般人(私たちも含まれる) と食通や料理研究家と呼ばれる食に対するプロフェッショナルの存在があります。
後者の食通たちは、どのようなお店や料理がオススメであることを知っていて、研究家たちは家庭にもある食材を使って美味しい料理を作れる人でもあり、食や料理に関する知識があるかないかということで線引きされるものではないかと感じました。
ですが、食に関する知識は必要かと問われれば必要ないものだと思います。
食と孤独から生まれるものとして、それは迷いと体験であると思いました。
食事をする際に、五郎さんはメニュー表を広げて、メニューだけの料理名だけで、その料理はどんな料理なんだろうかと想像を膨らませます。
食事を通じて、実際に提供された食事を食し、彼独自の視点で料理を評価します。
五郎さんの心理描写からは心の声によっての評価が下され、視聴者側である私たちもいかにも五郎さんと一緒に食べている気持ちになります。
「孤独のグルメ」にみる五郎さんの行動心理から見えてくるものは共感だと感じました。
美味しいものを心から楽しむといった心は食事にはかかせないものがあり、食の世界に求められるものというのは五郎さんのような孤独と食事に向き合う精神活動は重要であり、井之頭五郎という人物こそが理想的な食通であると思いました。