【‘‘至高の積ん読’’について】
本を積むこと、すなわち‘‘積ん読’’。
読書好きな方々はもちろん、誰しも経験済みだと思われます。
私自身も、毎年数百冊単位で積ん読しており、読むスピードよりも圧倒的に積むスピードの方が早い為に必然的に買った本を全て読むことができません。
せっかく買ったのに、読まないなんて、もったいないと思われる方も中にはいらっしゃるかもしれません。
ですが、積ん読は決して悪いことではなく、むしろ良いことだと思うのが私なりの考えでもあります。
積ん読というのは、買った本を読まずに本を積むこととしての意味合いがありますが、積む以前に興味はある本に出会ったけど、買わない。
その場合、本を買わないという選択肢を選んだ瞬間に読まないということとなり、せっかく運命的な本に出会ったのにもかかわらず、そこで読まないことで、自分自身の好奇心というものを黙殺させてしまうことが考えられます。
読書、本来の楽しみ方というのは、様々なジャンルの書籍に触れることで色んな物事に対しての好奇心を高める役割があり、同時にそれは自分にとっての大きな学びにもなります。
積ん読という行為そのものは、本を読まずとも、自分の中の好奇心をどんどん高めていっていると言っても過言ではありません。
積んでいる本は、これから数年後、数十年後、あるいは一生読まない場合も考えられます。
どうして、読書が好きな人たちは本を積むのか、それは本来の自分の中に眠っている好奇心をより高めたい、学びたいと思う欲が強いからだと感じます。
買って読まずとも、しばらく経てば自分なりのタイミングで読む瞬間というのは訪れるものだと思います。
読書好きな人たちによっては、積ん読による定義というものは、様々な価値観があるだろうと思いますし、定義にこだわらず、自由な思いで純粋にこれからも本を積むこと、読書を楽しむことの気持ちだけを胸にしまい、どんどん色んな本を積みながら、本を積むことの大切さを実感しながら学んでいきたい、そう思いました。