社会的評価より自分の人生
「学校の先生を辞める」
そう決めた時、
私には何一つとして
不安はありませんでした。
すがすがしくて
ようやく決心がついたと
そいういう自分を褒めたいくらいでした。
でも、
それを主人に伝えた時、
「あなたのことを、
(他人に)どう紹介すれば良いか
分からないから困る」
と言われました。
つまり、
「小学校の先生」だと
私のことを説明していた、
ということになります。
その時、思ったのは
「あぁ、やっぱり日本って
記号社会なんだな」ということ。
個人よりも
その人がどういう立場にあるのかを
重視する、というか
それで人となりを
想像する社会なんだなって
思えました。
そう思えた時、
私としては
ますます辞める決心ができて
よかったと思ったものでした。
==
さて。
こちらをご覧の方の中には
小学校教師をやめようかどうか
迷っている人も
いらっしゃるかもしれません。
そして、いざ辞めるとなると
「教員」という肩書きが
全くなくなることに
不安を覚えると思います。
実際、私もそうでした。
だからこそ、
なかなか辞められなかった、
というのもあります。
なくなる、というよりは
「捨てる」というような、
何とも潔い決断を
迫られているような
気持ちもありました。
実際、辞めてみると
やはりその潔さが
重要だったことに気がつきます。
その潔さがあったからこそ、
教職への未練はありませんでした。
残った気持ちは
子どもたちと
保護者の方への思いです。
そういうこともあり、
私は教職を完全に離れていません。
「指導員」としての仕事を
させていただいています。
「指導員」という立場だと
権威性はないのですが、
私としては権威なんて要りません。
どうしてかというと、
そんな権威よりも
子どもたちの成長や
第一線で活躍している先生方の
サポート役になれたことが
私には心地よいからです。
しかも、
自分で起こした事業を続けながら
学校教育に関わることができるなんて
すごいことだって思っています。
===
もし、あなたが
「学校の先生」という立場に
縛られてしまって
自分の人生を見失っているのであれば、
その縛りを是非解いてみてください。
学校の先生を辞めた方が
あなたはあなた自身に
気がつくことが
できるかもしれませんよ。
今日も最後までお読みいただきまして
どうもありがとうございました。