ぼっちの東海道歩き旅 その20〜宮宿→桑名宿〜
ついにその20まで来ましたか。東海道を歩いて計20日が経過したということになります。
今日は「七里の渡し」陸路編。たった1宿しか進みませんが、20キロ以上離れた区間です。
前回はこちら↓
宮宿→桑名宿
陸路の東海道がないこの区間、似て非なる「東海通(とうかいどおり)」を歩くことにします。住みやすい街大賞なだけあって、見事な「THEロードサイド」な街並みが続きます。
そして大小さまざまな川を渡っていきます。
Googleマップで道を確認していると……
あるんかい! 東海道!!
どうやら明治に作られた陸路ルートの東海道のようです。明治にも東海道作られてんだ〜と思いましたが、よく考えると宇津ノ谷峠の「明治のトンネル」も明治の東海道でしたね。東海道歩き旅も半分を超えると、いろんな知識を合算して歴史背景を補完できるようになってきます。
せっかくなので、明治の東海道が残ってる(Googleマップにある)道はできるだけそれに沿って歩きました。
江戸時代の道ではないのではっきりした史跡はないものの、東海道らしく、道中は両サイドにたくさんの神社やお地蔵さんが点在しています。
また、市の指定文化財の「鵜の池」という場所をマップで見かけて行ってみると……
あまりの無骨な感じに呆気に取られていましたが、写真を撮っていると鵜のような何らか鳥が、バサバサと池の周りを一周していきました。翼を広げるとめちゃめちゃでかい鳥だったな。縁起がいいんだか、神の怒りを買ったのかは分かりません……笑。
動物といえば、もうひとつ珍スポットが。
いつのまにか金魚の名産地に迷い込んでいました。ここは、三代金魚産地のひとつ、弥富市。ここで育つ金魚は「弥富金魚」というブランドなのだそうです。
金魚の養殖、はじめて見ました。いちめんのきんぎょ。
魚の養殖地というより、田んぼや畑みたいだ……! 近くに小学校がありましたが、ここの子達は田畑より金魚のいけすのほうが見慣れているんじゃないですかね。
実家ではいろんな種類の金魚や熱帯魚を飼っていたので、「あーこの金魚うちにいたな……」とか考えながら歩いていました。
さて、金魚畑を抜けたら、いよいよ木曽川越え! 長い長い橋渡りが待っています。
これがもう、果てしなく長かった。大井川越えも長かったですが、ここはさらに長い気がする。
そりゃそうですよね。大井川も江戸時代、渡し船ビジネスをやっていましたが、ここはもう公式の「東海道唯一の海路」なのですから。はじめから歩くつもりで設計されてない!
日常では出会えないような長い長い橋を渡って、これで終わりだと思いました。しかし、終わっていませんでした。
始まってしまいました……。さっき遠くに見えたナガシマスパーランドは、あくまで中州のような場所にあって、桑名宿に入るためにはもうひとつ橋渡りが必要です。(長"島"だもんなあ)
もうひとつ橋が現れたとき、「長い」「辛い」とかじゃなく、もはや「信じられない!」みたいな感情になりました。「なんなの!?!?!」って笑。
長良川、揖斐川が合流した太い太い川をさっきよりもさらに長い橋で越えました。
川越えでクタクタですが、ここからが長い。桑名宿まで川沿いを歩き向かいます。
やっとの思いで、桑名側の七里の渡し船着場跡に到着。宮宿とぜんぜん雰囲気が違い面白いです。
1日で七里の渡しの間を歩いてきましたが、ほんとうに長かった。これは、渡し船乗りますわ。桑名宿につくと、本陣跡などの史跡があちこちに見かけられて、「ああ東海道に帰ってきたな」と安堵するのでした。
歩いた結果まとめ
1つしか進めていませんが、長い長い旅でした。東海道の史跡以外にも、珍しいものが見れてよかったな。
晩御飯は桑名名物の海苔と蛤を使ったうどん!
あったまるしうまかった……。蛤の天ぷらってはじめて食べました! 大ぶりなおいしい蛤ならではの調理法かなと思います。コンビニ飯ばっかりだから、ご当地グルメが食べれてうれしい。
明日で歩きは最終日。今日体力を使い切ってしまいましたが、なんとか生きます。
東海道歩き旅 つづく
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