【旅エッセイ54】外ケ浜の眺望台で、遠く海を眺めながら。
最近になって英語の勉強を始めた。最近と言っても、細々と始めてもう一年くらいは経つだろうか。
いつか海外へ行くチャンスがあったら英語を使うかも知れない。それに英語を覚えれば、私の好きだった海外文学を原文で読める。一石二鳥だと思って、毎日少しずつ勉強している。
この間、初めてTOEICを受けた。私の勉強しているのはビジネス英語ではないけれど、それでも多少はできるのではないかと思い、成果を確かめる意味で。
結果は480点。
平均は580点なので、下回っている。
高スコアを取る必要はないんだし、点数が悪くたって別に良いかなと思った。
ただ、後悔した。
学生時代から真面目に勉強しておけば、大人になった今も英語を使いこなせたかも知れないのに。
私は10代の頃は小説を読む、書くしかしなかった。授業中も教科書に隠して文庫本を読んでいたので、まったく勉強をしていない。成績はひどいものだったし、大学にも行かなかった。20代のほとんどの期間も読むか書くか、そればかり。
小説家になる夢に挫折した時も「小説ばかりじゃなくて、もっと他に目を向けて色々勉強しておけば良かったな」と後悔した。
私とは逆に良い大学に入り大手の会社に勤めていた知人がいる。
彼は20代の後半から小説家を目指すようになり、「もっと若い頃に本を読んだり小説を書いたりすれば良かった」と、私とは逆の後悔をしていた。
せめてあと10年若ければ、5年早ければ……みたいな後悔は誰でも、何歳になっても感じるのだろう。
そういう時は、このことわざを思い出す。
「木を植えるのに最も良い時期は20年前だった。その次に良い時期は今である」
中国のことわざらしい。
いつ知ったのか忘れたけれど、昔の手帳の片隅に書いてあった。
良い言葉だな、と改めて思う。
私は旅をするようになったのも大人になってからで、海外への憧れが強くなったのも大人になってから。英語の勉強を始めたのは30を過ぎてから。
海外旅行が当たり前に行われる時代で、毎年のように海外へ出掛けて行く人たちがいる。
私は海外を自由に旅している人たちに(あるいは自由に旅をしたことのある人たちに)強い憧れを抱いている。もっと若い頃から旅への憧れに気付いていれば、学生時代も真面目に英語を勉強していれば、もしかしたら私も彼らや彼女たちのように、たくさんの経験が出来たかも知れない。
改めてことわざの意味を考える。20年前が最良のチャンスなら、次のチャンスは今日、今、この時。
写真は、私が幼い頃から好きだった、青森の外ケ浜で眺めた海。眺望台からの景色。
「いつかあの海の向こうへ行きたい」と、20年前の私は漠然と思っていた。
「木を植えるのに最も良い時期は20年前だった。その次に良い時期は今である」
今から少しずつでも前へ進んで、いつかあの海の向こうの景色を見る旅に出よう。