記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「水たまりで息をする」感想 都会で生きる魚の息苦しさと生命力

「水たまりで息をする」 著者:高瀬準子

 2024年4月、SNSの世界で「風呂キャンセル界隈」という言葉がにわかに話題となった。この奇妙な言葉は日常の一風変わった一コマを切り取っており、入浴という日々の営みを放棄することを意味していた。
その背後には、単なる怠惰や疲労だけでなく、心の奥底に潜む複雑な感情が絡み合っている。

 本作は、主人公・衣津実(いつみ)の夫が、ある日突然、風呂をキャンセルし始めるという、些細でありながらも奇妙な出来事をきっかけに始まる。
 衣津実は地方の静かな町で育ち、大学進学を機に東京に根を下ろした30代の女性である。東京で生まれ育った夫との結婚は、強い情熱や運命的な出会いというよりも、どこか自然な成り行きであった。
 夫は「水がカルキ臭い」という理由で風呂を避け始め、その奇妙な行動は最終的に5カ月以上も続いた。

 その間、衣津実は夫を何とか助けようと努めるが、彼女の試みはどこか空虚であり、切実さが欠けていた。彼女の心の奥には、夫への深い愛情があり、夫が風呂に入らない理由が何かしらあるのだろうと信じていた。しかし、彼の心の内に触れることを恐れ、強い言葉をかけることができなかった。
 彼の行動が何か深い悩みの表れであると感じながらも、その悩みを直視することで彼を傷つけてしまうのではないかという不安が、彼女を臆病にさせたのである。

 他者から見れば、そのような衣津実の態度は、不誠実に映るかもしれない。しかし、それは表面的な解釈に過ぎない。彼女の夫への思いは真摯であり、その行動の選択は、彼女自身の愛情の表れであった。誠実な思いが必ずしも表に出るとは限らないが、それを理解できないのは、むしろ周囲の人々が感受性に欠けているからではないだろうか。

 夫が風呂を拒む理由は、作品の中でさまざまにほのめかされる。そのきっかけは、ある会社の飲み会で後輩社員がふざけて彼の顔に水をかけた出来事に遡る。それはただの戯れに過ぎなかったが、夫にとっては深く心に刻まれる出来事となった。優れた営業成績を誇る後輩と、自分との間にある大きな隔たりが、彼に強い自己否定感を植え付けたのである。

 東京で生まれ育った夫は、無機質な人間関係に慣れ親しんでいたため、風呂に入れないという異常な状況を抱えつつも、誰も彼を助けようとはしなかった。唯一、彼を心から案じていたのは母親であったが、彼女もまた都会に適応した強者であり、社会の枠組みに従うことを「普通」と見なしていた。「風呂に数カ月入らない」という非常識な行動にどう対応すべきか分からず、強く叱ることもできずにいた。

 夫は多くを語らないが、その内には深い焦燥感が潜んでいた。冷たいミネラルウォーターで体を流し、雨の日には外に出て体を洗う姿には、どうにかして今の状況を変えたいという切なる願いが滲んでいた。

 やがて二人は、都会を離れ、妻の実家がある田舎への移住を決意する。家の近くに清流があり、夫がそこを風呂代わりにして水浴びを日課とするようになったからだ。山中の廃屋同然の古民家を改修し、新たな生活が始まるが、その生活には明るさと同時に、どこか不穏な影が潜んでいた。夫は体臭が原因で職を失い、妻も都会での仕事を辞め、契約社員として働き始めた。改修されたとはいえ、古民家はいつか大きな問題を抱えることが暗示されていた。
 「風呂に入らない夫」を受け入れるために費やした代償は、決して小さくなかった。この新しい生活もまた、長続きしないのではないかという不安が、衣津実の心を曇らせていた。そして、夫と妻の間に流れる思いは果たして通じ合っていたのだろうか。物語は、ある大雨の日に夫が家から姿を消すという、何かを暗示するような結末で幕を閉じる。


 この作品は、自らの行動を肯定しつつも、心の奥でそれを疑う人間の複雑な感情を丁寧に描き出している。また、他者への思いがあっても、それを伝えることの難しさが描かれており、その描写は読者の心に深く響く。
 東京という都市が、人々の心をいかに孤独にし、他者との距離を広げているか、その鋭い洞察もまた、作品全体を通して示されている。「ご近所さんって誰?」というセリフは、都市生活者にとって、何かを鋭くえぐるものとして心に残るであろう。

いいなと思ったら応援しよう!