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【人生ノート337】人間であった日の記録
人間であった日の記録
いろいろ、毎日考えている。この世の中を、人いうものを、いろいろと考えてみる。
特に自分というものを、批判的に反省的に、事ごとに考えてみる。なかなか判らない。他人の一挙一動を、いろいろと、純客観的に立って考えてみる。世事のうつりかわりというものを、つぎつぎと考えてみる。——別に、なんにもわからない。
ただ、無限小から無限大までが、この世の中には、平面的にも立体的にも存在し得るものだ、ということが判ったばかりである。
自分は、今、こうやって、この世に生まれさせられてきている以上は、ここに、何かの使命は持っているにちがいない。決して、世間的はなばなしい、名誉や功名を得んがためのみではない。それはとにかく、自分というものが、五十年なり六十年なり、この世に在ったという記念には、何かを後世に残さねばならぬと思う。椽の下の力もちで結構だ。たとえ、何事もなし得ないでも、なし得んとして努力した跡だけでも、残さねばならぬ。
自分はこう考えた、こう苦しんだ、こう悟った、ということを、その時どきに記しておいて、自分から後にくる人々の参考にしたと思う。
このごろ、特に、その無駄でないと思うこと切である。で、無論、後になって考えてみれば「あのころは、ナンテつまらんことに苦しんだんだろう」というようなことが、たくさんあるに違いないとは思っているのだか、しかし、要するに、自分というものの考え方の、進歩の仕方をみのも自分にとってはよいことだし、他の人にとっては、いろいろと思いくらべて、参考になることもあろうと思う。
とにかく、自分が人間であった日の記録なんだから、その内容の正邪良否は別問題として、何かの参考になることであろう。
『信仰覚書』第一巻 出口 日出麿著