【人生ノート332】 失敗するから考え直し、考え直すから悟るところがあり、悟るところがあるから、又やり直すなり。
合点ゆく迄やってみよ
人を疑うことは自分に罪をつくることだ。しかし、いまの世の人には、悪い霊につかれているために利己一点ばりを企んでかかる人が多いので、ウッカリそれに乗っていたら、あとでトンだ目に遭わされるから、いきおい、人を見たら盗人と思え的な心にもなる。
世にもまれた人は、どうしても、一面、非常に疑い深いところがある。これは、自分がいままでいろいろ、人にだまされ、苦しめられてきたからだ。しかし、もう一歩すすんで、真の神ごころにまで磨かねばならぬ。
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心配すればネズミが天井を走るのも心配の種なるべく、屁とも思わねば、命のおわる瞬間まで屁ともないなり。
世の人の心の小さきこと、今に始まらぬことながら、その心配とする原因をみるに、いずれも、とるに足るもの一つもあらず。あるいは、主人に叱られたるを気にして疎水に飛び入りて死ぬる者あり、あるいは、試験に落第して汽車に轢かれる青年あり、間男をみつけられて、情夫と心中するは普通のことなり、ちょっと思うように行かぬというので直ぐヒカンとやらエンセイとやら遊ばして、一つしかない命を失わんことをのみ思うバカ者の、さても多い世の中かな。
命ある間は誰でもいろいろの欲はあるべく、欲をとげんとせば、いろいろの苦悩はまたあるべく、その結果は、またヒカンやエンセイも自然に製造されるべく、失敗や恥辱も、おうおう、包囲するにいたるべし。
されども、元来、人間は未成品なり。始めから、一つの失敗なしに、思うようにズンズン事が成就したら、まことに結構の至りならんも、そうは問屋がおろさぬものと、相場は初めからきまっているなり。失敗するから考え直し、考え直すから悟るところがあり、悟るところがあるから、又やり直すなり。
やり直す度が重なるにつれて、この世が次第により良くなってゆくなり。
後悔や恥辱も自分でつくるものなり。自分さえ屁とも思わねば、生涯、屁ともなきなり。
人間は決して、この短い五十年あまりの生涯をのみ唯一のものとして楽しむために、この世に生まれてきたのではない。この世はあの世のための学校なり。修業所なり、苗代なり、準備室なり。すこしでも悟るところがあったら、それでよいなり。伴われぬ物質をため込んでみたところで詮もなし、大いにその物質を利用して、精神的に一つでもより多くのことを得ねばならぬ、つかまねばならぬ。
よく道を歩く者は、またよくつまずくなり、下駄もよくチビるなり、いろいろと旅の辛さも感ずるなり。しかしながら、つねに進むことを心掛けている者、つねに進なり。より多くつまづいた者は、より多くつまづかぬようになるなり。見ねば見えず、つかまねば握れず、一度、コツンと頭を打ってみぬと、堅い程度は分からぬなり。
世の中のことは、なんでもかでも、やって見ねば合点がゆかぬなり。合点がゆかねば魂の進歩はないなり。何ごとでも、腹の底から成程と、われとわが身に合点するまでは、誰でも思う存分したい放題をやって見ればよいなり。
ただし、これには相当の胆力なるものがなくてはならぬ。すぐにヘコたれて、行きたし怖しという矛盾におちいってしまい勝ちなればなり。いかなる目に会うとも心をみださず、よく、ものの神髄を会得し、その過失を二度と繰り返さぬよう、次第次第に、世界というものを悟ってゆくべし。
「無限に為し、無限に省み、無限に悟れ」。悪かったら悪かったと、あっさりと悟り、二度とその悪におちいらぬよう注意しさえしたらよいなり。すんだことは、今さら、百万べん歎くもなげくだけの損なり。時々刻々と過去をわすれ過去を葬式して、時々刻々と新しく生まれ変わったらよいなり。
人には誰でも性癖というものがあって、なかなか改めがたきものなり。されど、つねによく省みて悪癖を去り、良き癖をつかむよう心掛けさえしたら、わけなく、思うように行き出すものなり。省みず注意せねば、いつまで経っても癖は改まらず、したがって、自己改良というものはなきなり。
ホンのちょっとしたした注意から良き癖もできるなり、悪しき癖もつくなり。元来、人間の素質なるものは、
宇宙開闢以来の霊魂の癖の集積にして、決して、一定不変のものにはあらざるなり。
このことは、自己なるものの内容が時々刻々と変化していることによりても解しうべし。かくのごとく人は、自己の努力一つにて無限に向上し、無限に進歩しうるものなり。
『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著