己に厳に、他に寛に
一ばん大切なことは、真の自己をいつわらぬことだ。無邪気になることだ。
思いを静かにして目前をみれば、わが道は自然につけられているのだ。焦慮さんたんして、歩をはこぶことを悟を要せぬ。
ただ、進みたいと欲した時に進まんとさえすれば、自然に脚がまえへ出るのだ。
いまの多くの人たちは、おのが目前にたんたんとして横たわっている大道をすすむことを逡巡して、わざわざ他に道を建設して、しかる後に、いわゆる科学的に進歩の方法を見出さんとあせっているのだ
残酷な刑罰さえ課したら、それだけ人間は改心の度が深くなるとは考えられぬ。いな、かえって、心がゆがみ、世をのろい人を恨むことがますあす深くなる場合がおうおうある。
改心ということは、刑罰を課すにあらざれば、なさしむ能わざるものではない。喜ばして改心さすこともできる。内省の心のふかき人は、ちょっとした暗示から改心するが、自省心のすくなき人は、よほど深刻なある状態にみちびかれなくては改心しないものである。要するに、改心さえさしたらそれで目的は達するのであるから、いままでのように体的に罰することばかりをやめて、いかにしたら
人は翻然と心を改めるものかということを基本に、いろいろな方法を考究せねばならぬ。
子供の時から省みるということをやかましくいって、真を見つめることをよく教えこまねばならぬ。
「己に厳に、他に寛に」これが宗教および道徳の根本である。
出口日出麿著、『信仰覚書』第三巻、己に厳に、他に寛に