見出し画像

【338ページ】相手の立場になって

相手の立場になって

心を批評するのは冒涜だ、心と共に動けよ。吾において、真に悔いるところなければ足れり。

教うべし、強うべからず。

できる限り思うようにさしてやることだ。多少の失敗(しくじ)りや損失などは、向上のためには、どんな場合にでもあることだ。そんなことをケチケチと言わぬことだ。生まれたての赤ン坊が、ひと通り、ものをおぼえ悟るまでには、どれだけ、いろんな芸当をやらねばならぬかということを考えてみるがよい。知っている者、悟っている者から見れば、タワイもなことのように見えることでも、それ迄にならんとして

努力している者にとっては、一生懸命の仕事なのだ。青年子弟は、どうせ、考えが未熟で経験があさいから、なさんとすることも、世なれた者の目から見れば、バカ気ていることもあろうけれども、彼等は、こうして、次第に経験をつみ、考えた熟して来るのであって、どうせ一度は通らねばならぬ道すじなのである。

神の目から見たまえば、どうせ、人間全体のやっていることは赤ン坊の芸当である。現界は神霊界の苗床なのであるから、現界でいろんな失敗りをすることは、一面、後になって非常に役にたつものである。

自分と同様に他の者を視ることが、一ばん間違いのもとだ。自分にはバカバカしいことも、他人には一生懸命なこともあり、自分には大切なことでも、他人には何でもないこともある。

すべて、その人その者の立場になって同情してやらねばならぬ。


『信仰覚書 第二巻』相手の立場になって

これまでのnote


いいなと思ったら応援しよう!