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【短篇】共鳴する金魚

 青空を背景にして、ぱたぱたと降り注ぐ雨粒の滝を、真っ赤な金魚が横切って行く。金魚は虹色の橋の下を潜り抜け、橙色を帯びた西の空へ向かってふわふわと泳ぐ。
 その可愛らしい光景を認識しているのは、どうやら僕だけらしい。この事実を知ったのはつい一時間と三分前だ。「見てよ母さま、あそこに金魚がいるよう」と指差しても、「またアンタはそんな嘘をついて」と取り合ってくれない。傍に居た近所に住む田中の爺さまにも、高橋の婆さまにも、久保の兄さまにも「ほら見て、あそこだよう」と教えても「はいはい」と軽く扱われるか、はははと笑われるかだけ。誰も空を泳ぐ金魚を認識してくれない。信じてもくれない。
「ほんとに、ほんとなのに」
 尻が濡れるのも御構い無しに河川敷の芝生に座り込み、脚元に生えた白詰草を毟りながらぼやく。その声音は自分でも驚くほど低く、誠に怨みがましい。傘の外に広がる上空を仰ぎ見れば、やっぱり真っ赤な金魚が尾鰭をひらひら踊らせていた。ちょっかいを出すように溜め息を吐きかけてみる。金魚はひらりと大きく鰭を振って僅かに視界の右側に逃げて行く。
 可愛らしい姿を観察していると、隣に誰かが腰掛けた。
 おや、と思ってそちらに視線を投げる。隣に居たのは黒髪を肩口で切り揃えた女性だった。××女学院のセーラー服に身を包み、僕と同じように傘を差して、空を見上げている。そっと視線を落として腰元を伺うと、僕と同じく何も敷かないで座っているらしい。紺のスカートが、地面との境目で色濃く変化していた。
 制服濡れてるよ、良いのかしらん──と、己を棚上げして考えていたところに「あれ、見える?」と問い掛けられる。
「あれ?」
「あれ」
「あれって何ですか?」
「金魚」
「え、?」
「あそこにね、金魚が見えるの。赤と白と黒の出目金。私は金魚に詳しくないのだけれど、きっと特別なものだと思う。だって可愛いもの」
 ついと白い指先が指し示した方へ目を遣る。そこには確かに、赤と白と黒の出目金が悠々と泳いでいた。いつの間に居たのだろうか。彼女に言われるまで、僕は全く気付いていなかった。僕が見ていた真っ赤な金魚よりも遥かに大きく、存在感があるのに。
「わあ、大きいですねえ」
「……あれ、見えるの?」
 女性は酷く驚いた様子で僕を見下ろす。黒色が強い瞳が、真ん丸に見開かれて面白い。
「見えますよう。僕の金魚はあれです。ほら、あそこの小さくて真っ赤なの」
 女性を真似て、僕も真っ赤な金魚を指差す。指の先を追った女性は「ああ、」と吐息混じりの声を漏らす「あれか」
「おねえさんも、金魚が見えるのですね。僕初めてです。僕以外に金魚が見える人に出逢ったのは」
「そりゃあそうだろうね」
 女性は訳知り顔で頷く。
 僕は不思議に思って首を傾げる。「何故、そりゃあそうなのですか?」
「あれはね、特別な人にしか見えないんだよ」
 そう言って、女性は徐ろにスカートの裾を捲り上げる。わあ、えっち! と覆い隠す前の目に飛び込んできたものへ、僕の瞳は釘付けになる。
 そこには、雪のように白い肌を穢す、赤と黒の斑点があった。それらは膝の上から脚の付け根まで、満遍なく散らばっている。大きさも大小様々。所々ぷっくらと盛り上がっている。そのコントラストは、白と赤と黒の出目金を想像させた。
「……わあ、お揃い、ですね」
 女性を真似て、僕も裾を袖を捲り上げる。首と肩口の間で不器用に挟んだ傘が揺れて、水滴がぱたたと落ちる。その一滴が、捲り上げて現れた腕を伝って、地面に滴る。
 僕の腕は真っ赤に変色している。まるで空を泳ぐ金魚のように。いろんな事があって、真っ赤になってしまった。触れると少しだけ痛い。でも、愛の証でもある腕。
「お揃い、ですね」
「……そうね、お揃いね」
「可愛いですね」
「金魚の話?」
「そうです。金魚の話です」
 僕はにっこりと笑う。
「だって金魚以外、可愛いものなんて此処に無いじゃないですか!」
 女性はぎこちない笑みを浮かべて「そうね」と頷いた。その笑みが妙に悲しそうに見えて、これまた不思議だった。視界の端で泳ぐ二匹の金魚が、パシャリと跳ねるように宙を舞った。
 
(了)

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吾妻燕
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