見出し画像

【連作】バーター

来ないはずの明日』→『食文化』→『リア充失敗』→(本記事)

 和洋折衷、老若男女が働き蟻の如く行き交う雑踏の直中。私は特段の目的も持たずにフラフラと彷徨い歩いていた。さながら気儘に宙を舞い、あっちの野花からこっちの野花へと移ろう蜆蝶のような身軽さで、あっちのコンビニからこっちのドラッグストアへと移動しては品々を冷やかしたり、期間限定の商品を衝動的に購入してみたりしていた。先生へのお土産──ハート型の可愛らしい、お揃いの防犯ブザー──をゲットするのも忘れない。
 そんな私の視界の端に、珍妙なものが入り込む。

 何だろうと思って足を止め、意識と視線を集中させる。雑踏の傍に居た珍妙な物は、一人の女性だった。
 黒の味気ないスーツに、染みも飾り気も無い真っ白のワイシャツ。肌色のストッキングに覆われた足先はスーツと同色のローヒールなパンプスに嵌め込まれ、肩に掛けた明らかに合皮の鞄もやはり同じ黒色。後頭部の低い位置で一つに纏められた髪。その姿は、どの角度から観察しても就活中の人に見えた。
 何やら困った様子だったので、私も雑踏の傍に移動して声を掛ける。
「あのう、如何かしましたか?」
 女性は驚いたように身体を跳ね上げた後、まじまじと私の顔を凝視した。再度「如何かしましたか?」と訊くと、彼女は視線を泳がせ「あぁ、えぇと、」と狼狽えながら口を開いてくれた。
「……その、スカートが……」
 よくよく見ると、何やら腰の脇を押さえている。
 如何やらスカートのウエスト部分──留め具が破損してしまったらしい。これは大変だ! 私は徐にoutdoorのリュックから三毛猫のポーチを取り出す。そして、忍ばせていた安全ピンを差し出した。こいつで応急処置をしたら良いという親切心だった。
 幸いにも面接を終えて帰宅するだけの彼女は、私の好意を素直に受け取ってくれた。決して頼り甲斐があるとは言えない身体を目隠し替りにしてウエストを留めた女性は、「お礼に」と未記入の履歴書を一枚譲ってくれた。
 なにゆえ履歴書? という一抹の疑問が湧かないわけでは無かった。が、いつか役に立つだろうと考え直し、有り難く受け取った。
 女性は笑顔で礼を何度も言い、会釈をしながら雑踏に消えた。
 私は手を振って見送った。

 それから何やかんやあって、私は一千万円入りのボストンバッグを手に入れることになる。

 真っ当に稼いだ金ではない。宝くじに高額当選したわけでもない。
 履歴書から魔法のステッキ、時限爆弾、焼き八つ橋、呪いの箪笥、有名避暑地の別荘、水晶玉、法螺貝、コーヒーメーカー、水素水、国籍不明の土器、核シェルター付き無人島──等々と、『わらしべ長者』を愉しんだ結果だ。ちょっとした出来心で気儘に物々交換していただけなのに……世の中、何が起こるか解らない。
 こんな怪しいにも程がある大金、如何するべきだろう。うんうん唸りながら悩んだ。けれど、使い道は思いの外、早く訪れる。

 潮の香りが漂ってくる昼日中の倉庫街。その中の一つ。薄暗がりの空間で私は、無言でボストンバッグを無造作に放る。
 どさりと重たい音と共に横たわったバッグの向こうには、一人の男性が居た。そして男性の腕の中にはセーラー服と色鮮やかに汚れた白衣がよく似合うの少女──先生が居る。
 先生は顳顬に銃口を押し付けられながらも、こちらに向かって両手を振っていた。首を絞められ生き埋めにされ、ゾンビの如く這い出た記憶も新しいだろうに、何であの人呑気に「わぁ、お迎えありがとう!」って笑ってるんだろう。先生の中の緊張感が息をしてなくて私はほとほと呆れる。もっと早く防犯ブザーを渡すべきだったと後悔しても遅い。

 そんなことより──と、密かに困る。
 先生の命が助かるならば一千万円なんて端金だ。如何なっても構わない。男性にはさっさと少女の身柄を解放してもらって、金を回収後、即刻立ち去って欲しい。第一、正確に言えば、あの一千万円は私のポケットマネーでは無いのだ。麻薬の購入に使われようが、国外逃亡の資金になろうが関係無い。興味も無い。
 そんなことよりも、懸念しているのは交渉が成立した瞬間に『わらしべ長者』パワーで、先生の命が私の所有物になってしまう事である。けど、まあ良いか。

 救出後、先生と物々交換すれば万事解決だ。
 果たして彼女は私に、一体何をくれるのだろう。期待に胸を躍らせながら笑顔で「帰りましょう、先生」と手を振り返した。

(了)

ここまで読んでもらえて嬉しいです。ありがとうございます。 頂いたサポートはnoteでの活動と書籍代に使わせて頂きます。購入した書籍の感想文はnote内で公開致します。