【連作】嘘も×××回吐けば、
先生から一〇七四三五四二六九八九五四七五二三回も「君は過去を語り継ぐ選ばれし者」と嘘を吐かれたので、彼女の頬を平手打ちした。咄嗟に出た右手だった。
嘘に苛立ったわけではない。否、小指の先程には苛立ちを覚えた。けれど、それ以上に暴力を振るいたくなる何かがあった。果たして、“何か”とは何なのか。
咽喉の奥が堰き止められた様に、息が詰まる。
「何で、そんな嘘、言うんですか」
私の問いに、先生は苦笑いを浮かべて「嘘じゃない」と断言した。
「君は未来永劫、過去を語り続けるんだよ。過去と言ったって、壮大な歴史じゃない。あの日のクリームパンが美味しかったとか、スマブラってゲームが最高にエキサイティングで中毒性があったとか。その程度の話だ。そんな、日常の詰まらない話を、君は未来の誰かに語り続ける」
朗らかな表情を湛えた先生の右手が、私の背中をポンと叩く。余りにも軽い、子供を促す様な力加減に思えたのに、私の身体は物凄い力で押し出されたみたいに前進した。二歩、三本、五歩六歩と進んだところで世界が閉された音が空気を震わせる。
振り返った先──馬鹿みたいに硬い透明な板の向こう側で、先生は穏やかに笑った。初めて見る種類の笑顔だった。嘘吐きな彼女を精一杯呼んでみたけれど、血が滲んだ「せんせい」の四文字は強固な壁に吸い込まれてしまった。
数えられない年月が経った今日。私は災害と核の被害から逃れた僅かな人間達に、過去を語って聞かせている。
穏やかで幸せな、ほんの少しの不自由はあってもキラキラと輝いて何よりの宝物となった思い出を。先生の痕跡を。欠片だけでも遺したくて語り続けている。
(了)
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