【連作】リア充失敗
丁度、おやつの時間を少し過ぎた時間。街中で男性に声を掛けられた。
男性は皺一つない淡い黄色のワイシャツに、瑠璃色のネクタイを締め、濃紺の背広を着こなしていた。スーツケースを転がす姿は如何にも『出張中のサラリーマン』といった風で、戸惑った表情を浮かべている。私は「店か道でも訊きたいのかな?」と予想して、投げ掛けられるだろう質問に対する答えの幾つかを脳内でつぶさにリストアップした。
しかし、質問は直ぐに飛んで来なかった。
男性は一言も発しないまま、私の顔をジッと凝視し始める。体感にして三分間。彼の目力には顔面の中心から外側へ、皮膚を焼き、筋肉と骨を溶かしながら穴を開けてしまいそうな程の熾烈な熱が籠もっていた。
その熱は私の心を掻き乱し、猛烈なる不安で一杯にさせた。何なんだ、この人は。何故そんなにも私を見つめるのかしら。昼食代わりに食べたタコ焼きの青海苔が、前歯に付いているのだろうか。それならば何か言って頂きたい。普通に怖い。
私の願いが伝わったのか、男性は徐に口を開く。
「つかぬ事をお尋ねしますが、貴女、双子だったりしますか?」
私は双子ではないので素直に頭を振った。「では、姉か妹は?」と、矢継ぎ早に質問される。又もや頭を、先程よりも大きく振って「居りません、一人っ子です」と答える。
如何やら回答がお気に召さなかったらしい。男性は低い呻き声を上げながら、再び私の顔をガン見し始めた。やはり目力は苛烈で、穴どころか後頭部を出口とするトンネルを通貫させんばかりのものだった。
やがて満足したのか、男性は爽やかな笑みを浮かべて「いやはや、すみませんでした」と言いながらペコリと頭を下げた。そして、くるりと方向転換して足早に去って行く。
一体、あの人は何だったのだろう。私は決して人通りの少なく無い街中で、一人ポツンと立ち尽くして首を傾げた。
『謎の視姦リーマン(仮)』と名付けた男性の話を、私は先生に打ち明けた。打ち明けると言っても、深刻な調子ではなかった──と、思う。少なくとも、ちょっとした世間話を話す気軽な心持ちで『謎の視姦リーマン(仮)』の事を口にした。
すると不思議なことに、先生は今迄に見せたことの無い真剣な眼差しで、男性の外見的特徴を私に問うてくる。
質問事項に対し、私は一ミリの嘘もなく正直に告げた。洗いざらい吐くと、先生は「ああ」と、気の抜けた声を上げた。
「その男の人、僕の首を絞めて空き地に埋めた人だ」
そういえば、と思い出す。
唐突に「リア充に、僕はなる!」と叫んだ先生が、根城にしていると言っても過言では無いアトリエ『ミラ』を出て行った日があった。あの時は「きっと、先生は帰って来ないんだろうな。二度と会えないんだな」という酷い哀しみに支配されてしまい、饅頭の如く身体を丸め息絶えようと決心していた。
ところがである。一日経つか経たないかもしないうちに、先生は満身創痍で『ミラ』に帰還した。しかも、何故か全身土塗れ。出て行った際に持っていたはずの所持品──バックパックに詰めた諭吉の束、下着に予備のセーラー服、基礎化粧品、エロ本、大人の玩具、エトセトラ──は、一切合切消失していた。
当時は「リア充、とは?」なんて不可思議極まりない心境だった。そして暫くすると、「何処ぞの畑で土弄りでもしたのか」と思って納得したのだけれど。実は、先生自身が土の中にいて、這い出してきたのか。私に声を掛けた男性は、先生の首を絞めて空き地に埋めた犯人なのか……。
聴いて、思い出し、腑に落ちてしまうと何とも言い難い、冷たく気持ち悪い感覚が腰から後頭部にかけて一瞬間に駆け上がった。
──明日の先生には、絶対に防犯ブザーを差し入れしよう。
私は心のチェックリストの最上位に、この事案を書き留めた。絶対に忘れないよう、赤ペンでグルグルと丸しておく。勿論、自分用のブザーも忘れない。そうだ、防犯スプレーも買っておこう。
(了)
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