【連作】鮮度
人間には“三つの欲求”なるものが秘められている、らしい。
一つは睡眠欲──わかる。寝ないと頭と目がボヤーっとするから「寝たい!」と思うのは当然だ。あと、布団に包まれる心地が最高に幸せ。特に冬は「ずっとお布団の中に居たいなあ」と思わされる。
二つ目は食欲──わかる。何も食べずにいれば、お腹がグーっと鳴り出して居た堪れなくなる。何より、キューっと切なく悲しくなって如何しようもなくなる。何処からともなく漂ってくるカレーの匂いとか、醤油の焦げる匂いに唾液の分泌量が増える。
三つ目は運動欲だったり性欲だったりする──らしい。わからない。運動は、まあ分かるけども。性欲が分からない。私は先生がコレクションしているどエロいピンクな本を熟読してもピンとこないので、もしかしたら三つ目の欲求が死んでいるのかもしれない。
そんな私が、ある日突然「今すぐに、先生と接吻を交わしたい」と思った。思ったが吉日。秒速で実行した。
草食動物を狙う肉食動物の如く、呼吸を殺して背後から忍び寄り、一息に襲いかかる。床に押し倒された彼女の腰に容赦無く跨がって、動きを力尽くで封じ、唇を寄せるまでは計画通り。且つ順調だった。が、先生が全力で噛み付いてくるのは予想外だった。文字通り、唇の肉を持っていかれてしまった。しかも、ごっそりと。
食い千切られた唇から赤黒い液体が湯水の如く溢れる。液体は重力に逆らうことなくダバダバと滴り落ち、先生の口元を中心にして白い肌を無遠慮に汚した。拭おうとハンカチを手にしたけれど、先生の手に遮られて叶わない。血よりも鮮明な赤い肉が、私の唇だった部分をぺろりと這う。
「うええっ」顔を顰めながら、先生が呻く。「鮮度抜群なのに、美味しくない」
「でしょうね。キスを許してくれたなら、そんなの味合わなくて良かったのに」
敢えて見下すような、馬鹿にした様な言い方を選んだ。接吻を拒否された仕返しでもあった。
けれど、先生は私の意図に気付くことはない。止め度なく溢れる血液を舐め取りながら、今度は「美味しい」と真逆の感想を洩らす。一周回って憎らしい。身も心も一つに溶け合って、愛も憎しみも同量を共有したいのに。それが叶わないのだから。
いっそのこと殺したいと考える。鮮度抜群の殺意で生を奪って、鮮度抜群の肉と血で腹を満たしたい。
そして骨だけになった先生を抱きしめて眠りたい。
そんな欲望に駆られる。
(了)
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