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年寄りは何十年も前の話をつい最近のように話す

ひとり暮らしの父の様子を伺いに、半年振りに3泊4日で帰省した。毎週LINE通話しているとはいえ、もう82歳なので半年経つとだいぶ足腰が弱っているのではないかと懸念していたが、前回と殆ど変わっていなかったので一安心。

それでも、家の掃除が以前にも増して適当になっている。まあ、それくらいは仕方ない。滞在中に出来るだけのことはしよう。

色々と話しをするが、まあ大丈夫そう。

だけど、大体において年寄りの話は、

時系列があやふや
何十年前の話しを最近のように話す。
何回も同じことを話す。
デタラメや思い込みも混ざっている。
なので、まだそこまで年とってない私としては、いちいち、訂正したり、もう何回も聞いた!などといいたくなる。

だが私も、ヘルパーの仕事で、お年寄りの世話ばかりしていてコツが飲み込めてきた。
まず、時系列が無茶苦茶である事、大昔の事を最近の出来事のように話す、何回も同じ話しをするのは普通の年寄りあるあるだと認識して、いちいちそこで止めずに、ふんふん、そうだね〜と、緩いイメージを受け止める。ものすごく正確でもないけど、全くのデタラメでもないので、そういう風にこの人の頭の中では整理されているんだなというイメージをふんわりと受け止めにとどめる。それを材料にして、こっちはこっちの頭の中で整理する。だけど、それについても否定的な意見をしたり、こちらの考えを押し付けない。ヘルパーの仕事をするようになってから、利用者さんとはそのようにしていた。

以前は、帰省して父と何日か過ごすとうえのようなことが繰り返されて、イラッとしがちだったのだが、今回はふんふんと取り敢えず聞いてみる事にした。すると、スムーズに物事が行く。お、これだな!いい感じ。

だがそれも束の間、何日か一緒にいるうちにまた、イヤイヤ、そうじゃないでしょ。とか、それは、もう何回も聞いた。とか、ついつい言ってしまい、あー、意地悪だったかもと反省。ま、実の親子はそうなりがちである。
そこが他人との違いなのか。

しかも、父は、つい最近の様に40年以上も前のことを言い出しきたので、「お父さん、オート三輪であそこの道をとおったのはいくらなんでも四十年以上前だから!もうちゃんと舗装されてるよ!」とイラッとする。オート三輪は私が中学生の頃にはもう無かったよ!だんだん、こちらもムキになる。父もあそこの道は今も細いハズだと譲らない。叔母にお線香をあげに行く道のりの話しで、そんな事でムキになってもしょうがないのだが。

「全く、五十年近く前の話しを最近の様に話されても困るんだよ。」と思いながらも気づいた。そういえば最近私も、十年前のことはつい最近の事、二十年前の事もちょっとだけ前の出来事と認識している事に気がついて愕然としたよなぁ。

時間の感覚も相対的にみれば、80代の人の四、五十年と、50代の二、三十年くらいは同じ程度で、つい最近なのかもしれない。

実家もだいぶ古くなり、居間の照明がボロボロな事に気づいた。しかもまだ蛍光灯なので、切れた蛍光管の取り替えも父にとっては大変なハズ。父はそんなに古くないし困っていないというのだが、今はLED電球で取り替えもほぼ不要だし、この古い照明よりもずっと良いからと説得し、近所の電器屋さんで取り替えを頼んだ。昭和があちこちで止まったままの実家だが、帰るたび毎に少しずつ、簡単便利なように整えていこう。