ベルトコンベアの上の、あの子。
ふとnoteの存在を思い出して、戻ってきました。
死にたくなるのに、理由なんてないのに。
どういうわけか、人は皆、「死にたい」と呟く人に、理由の言語化を求める。それが出来ないくらい疲弊しているから、消えたいだけなのに。
今日の昼下がりにスーパーへ行くと、某パンメーカーが販売する、安価なロールケーキが売っていた。
「あれ、美味しいんだよなー。」なんて思いながら、頭の片隅にある肝臓の絶望的な数値と、それによって余儀なくされた食事制限の記憶を引っ張り出し、代わりに安売りされているリンゴを掴んだ。
思い出せば丁度5年と少し前、早々に受験を終えた私は同じパン工場のクリスマスケーキ制作のアルバイトに心を奪われていた。機械作業の繰り返しであることや、甘味の匂いがきついことなどもあってか、かなりの重労働と聞いていたが、いつの日かに向けた逃避行の資金調達と、まだ見ぬ社会経験に憧れ、何時間もチラシの前で揺れていた。
結局、2時間以上汗ぐっしょりで悩んだ末に電話したものの、定員オーバーにより呆気なくその夢は砕けた。が、今思うと応募すらしていないアルバイトのシュミレーションで緊張のあまり汗だくの私はあまりにも可愛いらしいと思う。
この年齢になると、じわりじわりと人1人に対する値踏みが始まる。手始めに、就活。次に社内の立ち位置。そして次は、婚姻関係の有無。
人々は皆、パン工場が作った、無機質で安価なパンやロールケーキを好んで食べるし、その値踏みは滅多にされない。むしろ、コストパフォーマンスを理想郷として掲げ、賞賛されるほどだ。
それなのに、どういう訳かヒトに対しては違う。
恋人が居なければ、それが何故なのかと問いただされるし、居たら居たで、将来への道標を問われる。
自分のことで精一杯なはずの自分すら、他人の喜怒哀楽に振り回されている。いつの時代になっても、どうしてこうもヒトはヒトにラベラーで値付けしていくのだろう。そのまた数日後、数年後にはまた上から値引シールを貼り重ねるのに。
閉店間際のワゴンをふと見ると、昼下がりのロールケーキはすっかり消えて無くなっていた。
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