2024年のはじまり
今年のお正月は、夫と子供たちが北海道の義実家に帰省し、一人で過ごした。こんなことは結婚してからはじめてで、15年ぶり!??
好きな時間に原稿を書ける。夜通し本が読める。こんなに至福な時間を過ごしていいのだろうかとドキドキした。家族で過ごす時間はもちろん尊いけれど、やっぱり一人で過ごす時間も好きだ。
元旦はいつもどおり、歩いて近所の神社に初詣に行った。家族の健康、仕事のこと、世界の平和、大きな地震が来ませんように、といつものごとく神様に欲張りにお願いした。今年もきっといい一年になる。
夕方、船に揺られているような長くて嫌な地震があった。嫌な予感がした。東日本大震災の何日か前からあったあの揺れと似ている。テレビをつけると石川で震度7という信じられない数字を見た。一瞬であの時が蘇る。
テレビで状況を見守るしかなかった。NHKのアナウンサーが叫ぶように避難を呼びかける。私も、とにかく逃げて、津波を甘く見ないで、海を見に行ったりしないで、近所のおじいちゃんおばあちゃんに呼びかけて、とにかく逃げてと祈った。
東日本大震災のとき、海のすぐそばのママ友の家に遊びに行っていた。信じられないほどの揺れのあと、急いで建物から出た。地面が波打つように揺れている。何度も余震がきて、立つことができない。ママ友のお父さんが車のラジオをつけてくれると、大津波警報を呼びかけていた。海はすぐそばだ。とにかく早く逃げろ。ママ友たちと、また絶対会おうと言ってそれぞれ避難をした。体がガタガタ震えていたけど、0歳の息子を乗せてとにかく車を走らせた。近所のおじいさん、おばあさんが呆然と道端に座り込んでいるのが目の端に入った。とにかく、子どもを守らなきゃ。それしか考えられなかった。あのときの後悔がずっとずっと心の中にある。自分だけ逃げてよかったのかな。
一瞬でフラッシュバックする。あの光景を思い出して、涙が止まらなかった。
あれから、たくさんの方たちに助けていただいた。震災後、つながって今でも交流のある災害ボランティアの方は、元旦から能登入りして自衛隊と一緒に救助活動をしてくれている。私はただただ祈るしかできない。非力だけど、あの人たちの心強さを知っている。きっと大丈夫。一人でも多くの人を助けてくれるはず。私はただ祈って、目の前のことを粛々とするだけだ。
今は寄付することぐらいしかできないけど、何かの形で北陸を応援していきたい。今はただ、少しでも多くの命が助かるように、被災された方が1日でも早く穏やかなときを過ごせるように、傷ついた町に春が訪れるように、祈っている。