小説『人 柱(仮)』・序の1
序の1
随分使い込んでいるのだろう。男の手にする"こうもり"の握り手が銅黒(あかぐろ)い。バンブーを撓ませ加工したと思しき取っ手に骨と皮だけになった躰をあずけ、幾分前屈みとなりながら男は一枚の画に鑑入っていた。画はイタリアバロック・ボローニャ派の匠であるクイド・レーニの手によるベアトリーチェ・チェンチの肖像だった。男の脚が画の前から離れることは無く、時おり躰を伸ばしては腰に手をあて、さすってみたり叩いてみたりするのだが程なくしては元の姿勢に戻るとまたそれに鑑入る。
それにしてもこの頃の11月の大阪は随分暑く、この日も昼前には館内に設えられたデジタル式の温度計が外気温27℃を表示していた。
2035年11月25日。男は名を松田裕也といった。年齢はこの30日を迎えて満で73歳になるはずだった。が、松田が自らに課した制限と許容、選択は11月29日23時45分。準備が始まる時間まではあと4日と10時間。法的に自由が担保される猶予であり、人権が保障されるタイムリミットである。
運転免許、パスポート、マイナンバーカード、銀行口座、健康保険、各種社会保障制度政策の受給資格、住民票、戸籍。凡てが"選択"時間をもっての閉鎖と失効が定められていた。年金は止められ家屋は借りられず、ライフラインの契約も打ち切られ、仕事にもつけず、医者にもかかることはできず。行き場を失い野垂れ死にを選択するか、予め自ら定めた尊厳死を受け入れ国のために尽くした人柱として葬儀を受けるか。道は二つにひとつしか無かった。
※
遡ること8年。2027年の1月の通常国会で一つの法律が可決された。異例の早さだった。それほど緊急を要する案件だったのだろう。法律が可決されると霞が関周辺ではデモ隊による抗議活動が連日繰り広げられ、内閣総辞職を求める声に留まらず暴徒と化す者たちもいた。連日逮捕者の報道や法律の無効を叫ぶ声が電波を通じ流された。日本という国の秩序が綻びはじめた瞬間のようでもあった。
「厚生労働省所管事業 社会福祉推進法・尊厳死選択の自由化法案」が可決されていたのである。
2026年春。国の社会保障制度における年金政策が破綻した。政府は国民年金受給者と生活保護をはじめとする社会福祉事業に関わる制度の抜本的見直しを始めた。「持続可能な社会保障制度検討委員会」がその窓口となった。
しかし、寧ろ見直しは尤前からはじまっていたようだとする識者の論調が世論の声としては支配的だった。「計画倒産と同じではないか ! !」「国会議員の年金を削減せよ ! !」「掛け続けた年金を返せ ! !」「パーティー券を売った財源を国庫に充当せよ ! !」様々な声が国民から上がった。
つづく
クイドレーニ 1575誕 1642歿
ベアトリーチェ・チェンチの肖像
※定かではないが、e-pubooで完成版を上げる予定としています。
社会派作品に美が馴染むのか。
ひとつの実験。 未来という時代小説。ヤバイ話になりそうです。