吉村知事「公用語を英語に」に観る次代を創る先駆の発想
Flashさんよ。
云わせてもらえば、逆説的に「カタコト英語しか話せないかもしれぬ最高学府の教育現場を揶揄した」と読むことも出来るのだが、いや、寧ろそう読まなければこの原稿のサブタイトルに合理性を見出すことはできなかろう。
国公立大学のセンセイたちが英語ぐらい話せないとなった日には……
如何なもんザンショネ。
どちらにせよダ。吉村氏。気にするな。人のあゆまぬ道を歩むものは常に好奇の目に晒され、異物化扱いされるのが世の常だ。
必要なのだ。
Tourismという究極の平和コンテンツからの果実を採りに行こうとしたときに。吉村氏の考え方は必要不可欠なのである。
が、本政策は全国知事会から取りまとめ政府への具申をすべき案件である。国際社会の平和を実現するカギは人種、言葉、宗教が一丁目一番地の正にグラウンドゼロ。相互理解を深めるためにも「世界共通語」は必要な時期に入っている。当然、段階的にということになるだろうが、2040年ぐらいを見据え国内の国公立大学の公用語は英語化100%を目指してもらいたいものである。
このレベル。失笑するものなぞおいて行けばよい。気にすることは無い。あるべき姿を想像できないものにとっては常に先駆は失笑の対象というだけのこと。
世界の中の日本。日本の中に世界を取り込むためには「はじめに言葉ありき」である。吉村さん、あなたCosmopolitanじゃないの ! !この政策は応援するわ♬
インバウンドという言葉が死語化する日の足音が小さく小さく聞こえ始めてきたことが嬉しい。国境に対する考え方が変わらなければ戦争は無くならない。言葉から始めることは理に適うのである。
※ わたしの書く原稿を読んで頂ける方にはご理解いただけるだろうが、そもそも観光とTourismは別物である。
ここから考えれば、2015年にわたしが"予言"した原稿が現実化しようとしているに過ぎないのである。
2015年1月6日
したがって、吉村氏の政策は、一部の者(マイノリティー)にとっては「必然」に過ぎないのである。全くもって愉快だ !
~了~