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母の日・2022年

この記事を書いている時点では昨日になってしまったが、5月の第2日曜日は言わずと知れた「母の日」である。

カーネーションを送ることが通例となっている日であるが、そもそも何故第2日曜日なのか、何故カーネーションなのかということがふと気になって、この記事をきっかけに少し調べてみた。
いくつかサイトを巡ったが、日比谷花壇の解説がわかりやすかったので下記に引用する。

その起源には諸説ありますが、よく知られているのは「100年ほど前のアメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日にフィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」という話です。

この風習は1910年、ウェストヴァージニア州の知事が5月第2日曜日を母の日にすると宣言し、やがてアメリカ全土に広まっていき、1914年には5月の第2日曜日が「母の日」と制定されました。
日比谷花壇「2022年の母の日はいつ?母の日の由来や歴史とは?

その歴史は意外と浅く、100年ほど前に始まった習慣とのことだった。
因みに花屋大手の別サイト(花キューピット)には、意外と各国で異なる「母の日」についても紹介されていた。気になる方は是非リンク先を読んでみてほしい。

私にとっての「母の日」

花好きの私にとって母の日とは、私以上に花好きな母に花束をプレゼントする日だった。
常に感謝している母にわかりやすく気持ちを伝えられる日というのもあるが、わかりやすく「何を送ればよい」というのが定まっているのも良かったのかもしれない。
ともかく、私にとって母の日とは毎年の欠かせないイベントの一つとなっていた。

ところが、地元を離れて早5年。毎年欠かさず送っていたはずの贈り物が、いつしか疎かになってしまっていた。
仕事と育児で日々慌ただしくしているというのもあったが、流通網の発達している昨今、用意しようと思えばいくらでも「何か」は用意できたはずだった。

忙しさにかまけてしまっている自分はいたのだが、どうにもそれ以上に気が乗らない自分に毎年首を傾げていた。

それが今年、2022年。ようやく答えにたどり着いた。
どうやら私は、毎年の母の日のプレゼントを「手ずから」選ぶことに楽しみを見出していたらしい。

下手な嘘と花束と

具体的にいつからかは思い出せないが、私は中学生か高校生の頃には、毎年母の日に花屋に行くことを習慣としていた。

やれ本屋に行くだの、やれ100均に行くだの、挙句の果てには「何となく散歩したいから」だの、毎年適当な理由をつけて母の日に内緒で花屋に出かけた。
今思えば母にはバレバレの嘘だったかもしれないが、花を持って帰宅すると毎年驚いた顔をしてくれた母の優しさが、今になって身に沁みる。

閑話休題。

私の花屋での買い物は、決まって花を一本一本選ぶところからだった。
近所にあった花屋には沢山の切り花が売っており、(今はどうかわからないが)客が自由に一本ずつ好きな花を取って良いスタイルだった。
それを良いことに、私は店内をぐるぐると回っては「今年の母」に合うイメージの花を一つ一つ選んでいった。

混みあう店内でたっぷり15分は選んだら、手元に集まった花を店員さんに渡す。店員さんのアドバイスも聞きながら、包装紙とリボンの色を選ぶ。
あまり多くはなかったお小遣いで会計をしたら、ちょっとだけ自己満足の入った充実感で花束を自宅に持って帰る。
そして「ただいまー」と言いながら、ニヤニヤしながら玄関に母親を呼びつける。
それが、私にとっての一連の「母の日」だった。

昔聞いた話では、花屋にとって一番忙しい時期は春でもクリスマスでもなくこの「母の日」なのだという。
そんな日に子供が選ぶ花束に付き合ってくれた店員さん達には、今でも本当に頭が下がる思いである。

離れていてもできること

そんな当たり前だった習慣が、離れて暮らしてしまうと何一つできないことを思い知った。
今住む土地で選んだ花束をそのまま地元に送ることもできるが、生憎と地元は宅急便で二日はかかる距離であり、切り花はその間に悪くなってしまう可能性が高い。
そもそも今の居住地では、何となく「客が手ずから花を選ぶ」ということもお断りな空気を感じる。

そんなこんなで、私は「母の日」のプレゼントに無意識に奥手になっていたらしい。

しかし、理由がわかれば話は早い。
私が求めている母の日のプレゼントとは、突き詰めれば「自分で選べる」「イメージに合った」「花束」というものだ。
通販の花の贈り物と言えば、当たり前だがアレンジメントや鉢植えが多い。これも私のこれまでピンと来なかった理由の一つなのだろう。

(完全に余談だが、何か障害を感じた時には「何故」を突き詰めれば良いというのは私の普段からの持論である)

「自分で選べる」というところをある程度妥協すれば、あとは「イメージに合った」「花束」を探せば良い。
目標が定まれば早いもので、今年はある程度納得のいく贈り物をスムーズに通販で選ぶことができた。

4日から8日の間に届けるという触れ込みの中、迎えた母の日前日の7日。
私のスマートフォンが、母からの2件のLINE通知を告げた。

「お花届いたよ♡玄関に飾りまーす」という文章と共に送られてきたのは、花束を持った母の写真。
成程、いつもなら花瓶に飾った写真だけ送られてくることも多いのだが、今年は一緒に住む父が気を利かせてくれたらしい。やるじゃないか父。

勿論元の写真には母の顔がしっかり写っているのだが、カメラに向けて少しはにかんで、それでも嬉しそうにしている母からは、私が手ずから渡していた頃と同じような雰囲気が感じられた。

しかも、この母にしてこの娘ありというようなエプロン。
母は本当に花が好きなのだなあ、そしてだからこそ私は花が好きなのだろうなあ、などと。改めて実感した母の日となった。

毎年花束は玄関に飾るのが我が家の通例だったため、そのようなメッセージを添えたところ、早速飾ってくれたらしい。
特に切り花はどうしても枯れていってしまうものだが、少しでも両親の目を楽しませるような日々が長く続けば良いなと思う。

さて、来年はどんな花束を選ぼうかな。
一気にハードルが下がった私は、もうそんなことを考えているのであった。

余談:母としての私

因みにこれでも私も一人の「母」なのだが、まだ3歳の子供からは特に何もなく終わった。
私自身は子供が0歳の時から、父の日には主人に(子供の手から)プレゼントを渡すようにしているのだが、逆はまだ一度ももらったことがない。

そのあたりの価値観は人それぞれなので別段怒りはしないのだが、「今日は母の日だから、勝手に冷凍庫のラスイチのアイスを食べます!」と言わなかった自分は、少しだけ褒めてあげたいと思う。

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