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一人っ子、二児の母になる
私には2人の子供がいる。
上の子は今年で6歳になり、春からはいよいよ小学生だ。保育園では最年長のクラスとして、クリスマス前には劇の発表会という一大イベントが控えている。既に涙腺が決壊することが確定しているイベントと言えるだろう。
下の子は少し離れて今年2歳で、年齢にしては日々とても良くお話ししてくれる。自分でいわゆる変顔をしていた先日などは、「可愛いお顔が台無しだよ〜」と私が言うと、「せんせいは、かわいいって、いってくれたよ?」と小首を傾げられて笑ってしまったほどである。
性別も違う、少し歳も離れている子供達だが、親馬鹿なのを承知で言えば、きょうだいでとても仲良くしてくれている。
育児で大変なことと言えば星の数ほど挙げられるが、それでも子供たちのあまりの可愛さに、疲れなど吹き飛んでしまうことも多い。
子供達がわちゃわちゃと平和に遊んでいる時など、あまりの愛しさに目をカメラにして永遠に見ていたくなるほどだ。
そんな二児の母である私だが、少し前までは自分が2人の子供を育てるなど、到底考えもしなかった。
それは私が一人っ子として育ち、きょうだいという感覚を殆ど知らないまま生きてきたことに由来する。
一人っ子と言うと、どんなイメージがあるだろうか。
今でこそ珍しくなくなったが、私が生まれ育った頃の一人っ子と言えば、まだそれほど数の多くない立場だった。
幸いにして私自身は殆ど言われてこなかったが、やれ一人っ子では可哀想だの、やれきょうだいがいなくては寂しいだろうだの、当時は一般論として色々な意見もあったらしい。
ではその「一人っ子」である自分がどう感じていたかと言えば、少なくとも「一人っ子だから」寂しいなどと感じたことは、今までの人生でただの一度もない。
親はいつでも自分だけを見ていてくれたし、自分が甘えたい時はいつでも甘えさせてくれたし、少し無茶なお願いをしても呆れた顔で大体付き合ってくれた。
(いい歳になって就職活動用の書類提出が間に合わないからと、雪降りしきる中何度も中央郵便局まで車を走らせてくれたことは正直申し訳なかったと思っている)
大人になって振り返っても、一人っ子だからこそ得てきた満足感があるという確かな自覚もあった。
だから将来の事について夫と話し合った時に「子供はできればきょうだいがいい」という言われて、具体的なイメージが咄嗟に湧かなかったのも事実だった。
夫は二人兄弟の弟で、小さい頃はよく兄と遊んでいたという話を何度も聞かされていた。
自分が兄弟育ちで、その上で「子供はきょうだいが良い」と言うのだから、きっと本人も2人で育ってきて楽しかったのだと思う。
きょうだいがいる生活というのは、自分にとって本当に未知のものだった。
だからいざ「2人目を産み育てよう」と決断した時に、不安があったのも事実だった。
それでも一人っ子である自分が未知の領域に踏み出してみようと思えたのは、ひとえに夫が1人目の子供を「一緒に」育ててくれたからだと思う。
夫は結婚前から7年ほどお付き合いをした人で、その期間でも何度も自分を救ってくれた人だ。
結婚して子供が産まれてからも、時に子供と同じ目線で向き合ってくれ、時に同じ親として同じ視点で悩み、時に互いを「親」ではなく「夫婦」として尊重してくれる人だった。
そんな人が夫だったからこそ、私も漠然とした不安を抱えながらも「この人となら乗り越えられるかもしれない」と思い、決断できたのだと思う。
かくして私は二児の母となり、怒涛の新生児育児時期を過ぎた今、ようやく少しだけ落ち着いた生活を送っている。
私が2人目の出産前に抱えていた漠然とした不安の一つに「子供が2人になると、一人一人にかけられる愛情が減ってしまうのでは」というものがあった。
結論から言うとその不安は全くの杞憂で、実際には「愛情は相乗効果」であるということがわかった。
確かに一人一人の子供に向き合う時間は、一人っ子ときょうだいを比較するときょうだいの方が少ないかもしれない。
それでも子供たちがきょうだいで楽しそうに笑ったり、一緒に遊んだり、時に些細なことで喧嘩していたりすると、心の底から「愛おしい」という気持ちが湧き上がってくる。
一人っ子だからこそかけられる愛情もあれば、きょうだいだからこそ感じられる愛情というものもあるのだと、私はこの歳になって発見したのだ。
実のところ、若いころの私はうっすら子供が苦手だった。
それは恐らく一人っ子であることにも起因していて、小さい子に対してどのように接していいかわからないからだった。
そんな私が将来子供を2人育てていると過去の自分に言ったら、一体どんな顔をするだろうか。
事実だけを聞くと不安にさせてしまうかもしれないが、愛する家族と一緒にいる時の私の顔を見たら、少しは将来への希望を持ってくれるだろうか。
未来は時に想像もつかないものだが、日々を積み重ねていけば自らの手で「作り上げていける」ものでもある。
これから先まっとうに生きられれば、きっと私はもう少し歳をとっていく。
そして将来の自分がどんな姿になっているかは、敢えて考えないようにしている。
未来はわからない。未来の自分は想像もつかない。
だけど、わからないなりに「今」を積み重ねたその先で納得のいく顔で笑えていたら、それはとても素敵なことだと思う。
今日の寝る前に「でんしゃごっこ~」なんて言って、布団の中を猛スピードで縦断していった我が子。
それを見て寝る前なのに、引きつりそうなほど大笑いして体を震わせていた我が子。
そんなエピソードを、寝かしつけの後に共有する私たち夫婦。
この先も全員が幸せであれるよう、進んでいけたらと思う。