神聖かまってちゃんだった自分と過ぎゆく青春の日々。
「Fucking Rock DJ」冒頭から「お前のロックは凄いぜ!」と始まるのは神聖かまってちゃんのフロントメモリーという曲。大泉洋さんと小松菜奈さんが主演の映画「恋は雨上がりの様に」の主題歌になったことで更なる人気を経たこの曲だが、私は映画の様な熱い青春も、初心な恋心も持ち合わせていないが8月になるとこの曲が聴きたくなる。
かつて神聖かまってちゃんだった私
神聖かまってちゃんの作詞作曲を行っているの子さんは、私が好きなメロディメーカーの一人である。出会いは最悪で、高校時分に「面白い曲あるから聴いてみて」と友人に勧められたのが神聖かまってちゃんの「アルティメットレイザー」という「飲尿」に関する曲だったのだ。激しい曲調の中にあまりに理解し難い歌詞が歌われているのだ。だが、なんでか耳から離れない。そして、大学に入学し私が敬愛している森山未来さんが主演の「モテキ」の中で登場した「ロックンロールが鳴り止まない」を聴き「自分の中でのロックンロールはsexpistolsでもBeatlesでもなく神聖かまってちゃんが鳴り止まなかったのだ。そこからは神聖かまってちゃんの曲をディぐりまくり、必然的に神聖かまってちゃんが全然鳴り止まない状態だった。「かつての自分と大人になってゆく自分」というが描かれている作品がとても多いのが神聖かまってちゃんの楽曲であり、大人になってから「あの時は、と振り返る自分」が自分にシンパシーを感じさせられた。23歳の時、元々の持病もあったのだが、毎月100時間近くの残業と徒労感から心を壊し、世間的にはうつ病になり、1年近く働けない時期があった。身体に重石が乗っけられた様な感じで起きることができず、気づけばベッドから見える窓の外の景色が青々とした緑から雪景色に変わっていた。意味もなく流していたYouTubeでたまたま流れてきた「23歳の夏休み」に涙した。「君の貯金はいくらあるんだい?そんなことは僕に関係ない。」「君はどこにいるないをしている。僕には関係ないのにね。でも気にしてしまう僕がそこにいるのさ」そこには自分がいた。形容し難い得も言えない誰にもぶつけることができない内情がこの曲とともに溢れだしたのだ。
ガンバロッかな今日も、それは昨日のつづき
8月を迎え、もう30歳近くなった自分は今もまだ神聖かまってちゃんなのだろうか。その答えはフロントメモリーの中にあるかもしれない。「ガンバロッかな今日も、それは昨日のつづき屋上でまた崩れかけてる。男女の電車は恋話、終電に乗った帰りはRecしたこんな夕方です。」日々苦しみながらも頑張っていく。終電に乗った帰りでも何時ぞやに見た夕方だったり偶然聞いた恋話だったりを思い出します。とまぁ色々と解釈ができそうな歌詞ですが、毎日昨日の続きを進んでいくことは真新しい毎日を感じられていた子供の時とは違い、歳をとったということなのだと思う。「頑張れないよぉ、頑張れないよぉ(yo)そんなんじゃぁいけないよ。」わかっているんです。 そんなことは。夏になればいつも脳裏に焼きついた青春の歪んだ風景がふと想起されるが、学生時代の様にもうRecすることはできない。思い出に浸ることはできても、それは体験ではなくどこかスクリーンを見ている様で現実だったはずのことがどんどん遠いものになってゆく。そんなモラトリアムを恨めしがる私はただ歳を重ねた、子供なのだ。それでも今日を、昨日の続きを少し頑張ってみようと思う。
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