アタラクシア/金原ひとみ
読んだ。一気だった。大人になって小説ってあまり読まなくなった、特に中長編はしんどくて、軽文学くらいの軽さがちょうどいい気がする。と思ってたんだけど好きな小説は長さ関係なく面白かった。
くるくる視点が変わる。はじめの章がとても幸せそうな男女の話で、「金原先生らしくないな?」とか思う。が、第二章でさっそく「いつもの金原先生でしたわ」という登場人物視点になる。暴力の描写が異常にリアル、真に迫っている。いつも。
たまに金原先生のブログとか読んだりして、フランスに暮らしていることを知ったりインタビュー記事を読んだりするくらいにはファンなんだけど、小説を買ったのはとても久しぶりだ。
アタラクシア。不倫カップル。DV被害者の編集者。DV加害者のパティシエ。パパ活女子大生。物語は由依という女性を軸に展開する。由依の夫。夫と仕事をする出版社の編集者たち。由依の愛人。愛人が経営するフレンチレストランで働くスタッフ。由依が十代の頃過ごしていたフランスでの暮らし。愛人がかつて働いていたフランスのレストラン。
浮気する、される、暴力を振るう、受ける。加害と被害は関係性の中で逆転し続いていく。
由依がパリ生活を振り返ってタンを捌くことに言及しているセリフがある。古参ファンへのサービスかなと思った。メインの三角関係が少しアマとシバさんと、つまりデビュー作の三人と似ていた。
蛇にピアスの時よりずっと男性の描写にバリエーションと深みがでてて、十数年分の歳月を感じた。今だから書けた小説という感じ。私は金原先生のデビュー作の得体の知れないエネルギーみたいなものに胸を打たれてずっと好きなので、この作品を読めて嬉しかった。
大事なセリフでプリンへの恨みでてきてわらう。前振りがきちんと回収されている。作中の登場人物ほとんどがやばい奴なんだけど、「無意味に嘘をつきまくる」タイプのやべぇやつがふたりだけでてくる。「黙っている」ことと「偽る」ことの間の溝みたいなものが作中延々と深まって行って、ある時突然その溝の縁から突き落とされる。うわー、こここんなに深く広がってたんだー。小さな稲妻みたいに広がる空を見ながら思う。みたいな話でした。他に道はないよね、確かに。
私の感想をまとめると以下のようになります。
・あらすじ詐欺・
まじで。
☆☆☆☆☆
あとは余談。アタラクシアを読んでいるときに考えたこと。
金原ひとみのデビュー作はいい意味で厨二っぽい。ケータイ小説しかり、女子が中二の頃の感性を生かして小説を書こうとするとどうしても暴力・セックス・アルコールの話になりがち。男子が広大な世界を創造して英雄願望を描きがちなのと対称的だ。考えてみると不思議だけど生殖の権利を与えられたものとする中二男子っぽい発想と、奪われるものとするコンサバティブ中二女子っぽい発想と比例しているのかもしれない。英雄的な偉業を成し遂げて世界から承認と家族を与えられる。という男性目線の物語構造と、元来の美貌や才気を認めてくれるたった一人の英雄と出会い承認される女性目線の物語構造をそれぞれ中二アレンジするとそうなるのかも。
アタラクシアでも由依の妹の枝里はたったひとりからの承認を夢見て、溺れて、沈んで戻れない。由依の夫であり小説家の桂はハーレム的な願望が投影された軽いミステリを書いて生計を立てる、いわゆるラノベ作家だ。ふたりとも精神構造が十四歳のときのままなのかもしれない。
厨二小説と言えば村上春樹先生のデビュー作も厨二っぽい。氏の小説の特徴は離人感溢れる描写とチープで抽象的な世界の描写、つまり世界からも自らからも距離がおかれていることだと思う。離人的な描写と言えばほかに村上紗耶香先生だろうか。紗耶香先生の作品は春樹氏の作品と違ってモチーフがやや現実的である。女性作家の選ぶテーマはどちらかというと作者に卑近なテーマ、生殖や暴力であってともするとそれらは男性作家の選ぶテーマよりも一段以上下に見られがちである。女性作家の容姿が揶揄され、優れていると小説ではなく外見への評価であると謗られる。村上春樹氏が絶世の美男であったとして、同じような批判が向けられることがあるだろうか。卑近なテーマが下品でありまともに取り合う必要のないものである、という批判者の確信がなにに裏付けられたものなのか私は知りたい。そのような確信を抱かせる動機をもしも言葉にするならば「自らの人生など取るに足らないものであり、もっと意義のある人生が他に存在している。アーティストはそれを誇示してこそ活動意義がある」という自らの人生への諦めや無力感なのではないか。背景にあるのは「個人の人生など全体の前には取るに足らないものだ」という漠然とした自己否定感なのではないか。その否定はおそらく「もっと善い人生が他にある」という根拠のない思い込みに裏付けられている。アタラクシア、例えば由依はそのような思い込みからは解放された人間である。彼女の眼前にifの世界は存在していない。
話が逸れたので少し本筋に戻そうと思う。金原先生がすごいのは物語の構造の中にかつての厨二っぽさを包括しながら(摂取ではなくあくまで包括)新たな価値観を提示してくることだ。それは金原ひとみがデビューから十数年生きてきた軌跡であり、たびたび形を変えて提示されていた問いへの答えであり、また同じような問いは生涯を通して自らに問い続けるものであるという確認でもある。
なぜ生きるのか。生きている状態の裏返しとしての、死。生を信じるとき同時に死を意識する、金原ひとみの死生観。認知構造。
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