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#1 釜石と東日本大震災 20200615



初めまして。かずきと申します。
日記や備忘録などを書き残す場所として、noteというメディアを選択することにしました。

秋田県秋田市在住、趣味はドライブになると思います。
観光客向けに整備された名所より、行った先々の自然や、ちょっとしたローカルなスポット、土着的な空気感を楽しみたいタイプです。
ここでは、そんなドライブの記録なども書き記していこうと思います。

早速このエントリーから、最初の旅録を記します。


2020年6月15日 岩手県釜石市に行ってきました

県外へのドライブとしては山形県によく行っていたのですが、太平洋側は未開拓で、とりわけリアス式海岸をはじめとした美しいスポットに恵まれる岩手県には以前から興味がありました。

その中でも、最初の行先として宮古でも大船渡でもなく釜石を選んだ理由は、俗に言う「推し」の存在にあります。

Pimm's(ピムス)という”ミクスチャーロック”を標榜するアイドルグループが好きで、

中でも特に応援している川崎優菜さんというメンバーが釜石市出身で、震災を経験されたこともあり、彼女自身も積極的に地元を発信しています。

元々抱いていた関心に加えて、ビシバシ伝わってくるこの熱意と地元愛は、実際にそこへ足を運ばせるには十分すぎるものでした。


【2020.7.9 追記】
本記事をPimm's 川崎優菜さんが読んでくださいました。
また、この日の写真・動画をまとめたMV風の映像を作ってみました。
こちらも是非ご覧ください!



秋田市〜釜石市

秋田市の自宅から今回の最初の目的地である釜石大観音へは、下道でちょうど4時間ほど。
特に横手市からは、蛇行する川を道路が貫き、道沿いには北上線が走るエモーショナルな道のりが続きます。

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(こういうの地図で見るだけでワクワクしてしまう)

こんな山間の道をひたすらに川と共に進む、若干のジャングルみも含めなかなか楽しいドライブコースでした。

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こんなちょっとした素敵スポットも。

錦秋湖周辺の山道を抜けると北上に入り、間も無く至る江釣田瀬ICからはもう自動車専用道路で釜石までノンストップです。
(止まれない自専道が長すぎて逆に疲れるやつ)



釜石市

北上から自専道で40分ほど飛ばした辺りで「釜石仙人峠IC」を通過。
「ここが川崎の生まれ育った街か…」と、推しの地元に突入した感慨に浸りつつ周りを見渡すと、道沿いの山の斜面で野生の鹿の親子が普通に草食っててめっちゃ二度目してしまった。

え?カモシカちゃうくて

と2秒後に我に返り調べてみると、

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岩手県沿岸部は野生の鹿的に北東北で一番アツいスポットみたいです。
秋田ではまず見ることのないガチのバンビが突然現れたので流石に驚きました。細くて可愛かったです。ちなみにカモシカってウシ科なんですって。

釜石自動車道を降りて街中に入ると、真っ先にこんな標識が目につきました。

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津波の浸水区域を示したボードです。
釜石市内では、このあと同じものを何度も目にすることになります。



釜石大観音

山と海に挟まれた、アップダウンの激しい港町。
特に海の近くは道路も狭く、大きな車が何台も行き交い工業地帯らしく忙しない雰囲気です。

間も無くして待望の釜石の名所にようやく辿り着きました。

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観光地としての寺院ではありがちな土産物屋が立ち並ぶちょっとした参道もあり、雰囲気としてはご覧の通りですが、なぜか意識高い感じのコワーキングスペースや洒落た雰囲気のカフェも点在しており、田舎らしい混沌とした様相が広がっています。

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こういう野良猫が跳び出して来そうな隙間、たまらん雰囲気です。

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参道を抜けて立派な門をくぐると受付があり、参拝料を払ってパンフレットを受け取ります。
残念ながら、新型コロナヴァイラス対策として現在大観音の胎内は入れなくなっているとのこと。

「それと今ちょっと熊いたみたいで…ちょうど今ああやって調査入ってるんですが…どうかお気を付けてください…」

とても申し訳無さそうな声色でヤバめな「注意事項」を告げられ、指差す方には藪をガサガサやってる作業着姿の職員さんが。

”ブチ上がり”を感じる瞬間です。

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行きはエスカレーターで麓まで。

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水子供養の苑に手を合わせます。

少し階段を昇り観音様の足下へ出ると、まずはその眼前に広がる絶景に思わず感嘆の声が漏れました。

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海沿いの高台なので、絶景スポットとしても本当に素晴らしい場所です。

そして主役はこの御方。

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凄い迫力、と言うと失礼な気がしますが、正面から見上げると少し微笑んでいるようにも見え、優しい柔和な雰囲気に満ちた観音様です。

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観音様の他にも、1975年にスリランカの寺院から寄贈されたという仏舎利塔という美しい建物があり、お釈迦様の壁画や仏教界の強い人達が祀られています。

観音様に優しく見守られながら、心地よい風の中で広大な太平洋を眺める。
これまでに来訪した中でも指折りの好スポットでした。

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行きではエスカレーターで来た道を、帰りは歩いて降りることになります。
長くはないものの、普通に左右がちょっとした林なので、熊と遭遇した際のシミュレーションが捗る感じです。
(何事も無く抜けられました)



釜石市大町

大観音の余韻に浸りつつ、釜石のリアルな空気感を味わうために街中に出てみました。

まずは事前に調べていた青葉公園商店街へ。

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被災した店舗がプレハブに集合しています。
到着時にはどのお店も開いていなかったのですが、何というか、「市井における”被災”」の実態が非常に生々しく伝わってきました。

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そして、街中でもやはりこんな表示が散見されます。

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前述の道路上標識然り、釜石市民、及びおそらく他の被災地の方々にとっても、街中至る所で視界に入るこの表示は、完全に「当たり前の光景」の一つなのだと思います。

でもこれって、2011年までは恐らく一つも存在しなかった物なんですよね。

こんな小さな部分ひとつ取っても、一度の出来事によって「当たり前の光景」が突如として一気に塗り替えられるということは、改めて表現に難い震災の恐ろしさを実感する一面です。



「喫茶あいどる」

特に何処へ向かうでもなくそのまま付近を歩いていると、ふと空腹であることに気付き、時刻もちょうどお昼時となっていました。

釜石ラーメンとやらを食べてみたくて、ローカルな匂いのするイイ感じのお店を探し回ったものの、なかなか見当たらず散策を諦めようとしたまさにその瞬間、

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奇跡のようなタイミングで堂々と翻ったのぼりが目に着きました。
(裏返ってますが)

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まさしく求めていたようなローカルな喫茶店、その名も「喫茶あいどる」

出会うべくして出会ったかのような店名に心躍り、即決で入店。
店内は明るく、一見客でも馴染みやすい雰囲気です。

「県外から来たんですけど…釜石ラーメンってどれですか?」

にこやかにメニュー表の「ラーメン 550円」を指すママさん。

おにぎりが一つ付くセットが630円だったのでそれをオーダーし、5分ほどで運ばれてきました。

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釜石ラーメンと川崎。

個人的に、こういうオーソドックスな醤油ラーメンって「家でも食える普通のラーメン」っていう認識しか無くて、外で食べて感動した記憶も無いし、わざわざ店で食べる物じゃ無いだろっていう乱暴な見解を持ってたんですが、この釜石ラーメンはマジで本当に美味くて正直ビビりました

食レポスキルがゼロなのであーだこーだ言いませんが、あんなにシンプルな味なのに全く飽きず一生啜ってられるスープって初めてでした。
チャーシューも肉厚でプリップリで異次元の美味さ。
おかか入りのおにぎりも美味しかったです。

想像を超える釜石の神グルメに加え、お会計時には「ラーメンどうでした?」と声を掛けてくださるママさんの暖かさ。最高

ストレートに感動を伝え、ついでに釜石のオススメスポットを訊いてみると「釜石ねえ…何も無いところだからねえ…」とボヤきながらも「根浜海岸」を教えてくださいました。
もちろん根浜も下調べ済みだったのでこの後のコースに組み込むことに。

Googleのクチコミを見るとやっぱりラーメンがかなり好評みたいですね。

釜石が誇るマジの名店「喫茶あいどる」。
期せずして、川崎優菜と双璧を成すもう一人の「釜石のアイドル」に出会った瞬間でした。



薬師公園

素晴らしい出会いにお腹も心も満たされつつ、喫茶あいどるのすぐ近くの薬師公園へ。

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公園と言っても、つづら折りの階段を登り切った先に平和像が建つ広場がある程度のスポット。

観光客がわざわざ足を運ぶような場所ではないのかもしれませんが、

春に行われる桜まつりは、きっと地元民がこぞって集まる一大イベントなのでしょうし、夏にもちょっとした夏祭りなんかがあるのでしょうし、

途中のベンチから一望できる市街の風景に目をやっては、一際目立つイオンを見て釜石の中高生にとっての数少ない定番のデートスポットなんだろうなと田舎特有の共感を得られ、こういう場所こそが、その土地のリアルな”放課後”や”休日”を感じられる貴重な観光地だったりします。

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あと普通に民家とかお店の並びにポンとある公園なのにクマ注意の看板があったり、途中の階段にもそこそこの大きさの動物のフンがゴロゴロ落ちてたりするのを見た辺りで、釜石がマジの田舎であることに気付きました。



愛の浜 水神公園

釜石大観音に並ぶ、今回の大きな目的地の一つです。

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あまり良い写真を撮れなかったのですが、

これまでに訪れたあらゆる海岸の中で、最も美しい場所でした。

砂浜ではなく小石によるビーチですので、靴のまま歩けて腰も降ろせます。

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浜のそばには、2,3棟の東屋と野外音楽堂だけがかろうじて残る公園が広がり、何か小さな建築物が根こそぎ砕かれ潰されたような跡が点々と残っていました。

この上なく美しく穏やかな海を前に、あの日テレビで見た、およそこの世のものとは思えない地獄のような映像が脳裏を過ぎります。

何の綺麗事を並べる余地もありません。
無慈悲にもまた同じことが起きる可能性はあって、そうなればまた同じようになるだけなんですよね。

こうして圧倒的な自然を前にしたところで、ただただ感動し、ただただ恐れ、ただただ人の無力さを痛感するばかりです。

ここにはまた必ず訪れようと思います。

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ちなみに公園では薬師公園で見た以上の大きさのフンが半径10m以内に20個以上転がってるは鹿の足跡めちゃくちゃあるはで完全なる野生を感じました。



うのすまいトモス

鵜住居(うのすまい)という地域には、震災の教訓を後世に伝え犠牲者を追悼するための「うのすまいトモス」という施設があります。

また最近では、2019年のラグビーW杯開催に際し、メインスタジアムとして「釜石鵜住居復興スタジアム」が建てられました。

海に臨む三陸線がまたエモーショナルで、釜石市の復興における最もアイコニックな地域という印象があります。

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後述する震災資料館、慰霊碑のほか、道の駅のような土産物屋もあります。

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(土産物屋さんの御手洗いの表示がスゲーカッコ良かった!)

そしてずっと来たかったここ。

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津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」では、被災の跡地から拾い上げられた品々や、震災が起きたまさにその時に記したのであろう、対応に当たった方々(消防?自衛隊?)による殴り書きのメモ(これがとにかく生々しくて鳥肌立ちました)などが展示されています。

そして慰霊碑。

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犠牲になってしまった方々(のおそらく一部)の芳名が記された献花台に、

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津波高を刻んだモニュメント、

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防災市民憲章碑。


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私が住む秋田県秋田市は、日本海沿岸ではあるものの災害には比較的強い土地で、震災・津波を含めたあらゆる災害に対して当事者意識を持ちづらく、それはおそらく秋田県民に共通した感覚であると思います。
(それだけに2018年の大雨による身近な実害は本当に衝撃的でした)

その感覚を以て、いざ初めて被災地となった場所を訪れたとき、

「被災者であるということ」
「これからも未来永劫、あの絶望と隣り合わせである宿命を背負うこと」
「そして、その覚悟と決意を胸に刻んで生きること」

そんな、単なる「被災の経験がある」というだけの話とは全くワケが違う、確固たる意志と強い覚悟を、街を上げてのアイデンティティとして市民全員が背負っているんだと、大袈裟でなく肌で感じることが出来ました。

真面目な例えですが、「銃弾の飛び交う戦場を生き抜いた人間は目つきが違う」的な(見たことないけど)、あの震災の当事者である人達とそうでない人達とでは、もはやモノの見え方が違うんだろうなと、

あの東日本大震災という未曾有の大災害は、それほどまでに大きな出来事だったんだなと、

仮想的にとはいえ、ようやく理解出来た気がします。

それと、愛の浜がある両石町という地域には、全く同じ姿形をした平家の公営住宅が道沿いに10棟ほど建ち並ぶエリアがあります。

それを目にした時が、この釜石ドライブの最中において最も強く、そこが「震災被災地」であることを実感した瞬間でした。

その付近を改めて見渡すと、道路は綺麗で、どの建物も新しいのに、他のどの街にも漂う涵養された生活感が抜けたかのような、何だか整いきっていない不自然な街並みに気付きます。

あまりに生々しくて悲しくて、運転中に涙が出そうになりました。



根浜海岸

この日に釜石で訪れた最後の場所です。

震災によって消失した砂浜は再生工事により昨年復活したようですが、今年もまた何かしら整備が行われているようで、浜には降りることが出来ませんでした。

それでも、松林が映える広大で穏やかな海岸は、ただ歩いているだけでも本当に気持ち良く、ここもまた時間を忘れられる癒しのスポットです。

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2011年3月11日、たかだか一日二日停電して不便な思いをした程度の記憶しかない自分ではどれだけ想像力を働かせても絶対に及ばないほどの絶望と地獄がそこにはあったのだろうから、自分を含め当事者ではない人間が震災を語る言葉には、何の意味も宿らないと思っています。

「忘れちゃいけない」とか、そりゃ誰がどんな言葉吐こうが自由だけど、いやあんなん忘れたくても忘れられないだろ、って。

真に一人一人に出来ることは、ただただ自分の身を守ることを考えるだけだと思います。

誤解を恐れずに書くなら、黙祷とか、もちろん否定しませんが、その目瞑ってる間にマジでまた地震来たらどうするよ?っていう話だと思ってて。

例えば、毎年3月11日14時46分になったら「今、まさに今、また大地震が起きても焦らず正しい対応が出来るか」っていうのを本気で考えて、防災グッズの確認をしたり今いる場所からの避難経路をイメージしたりする1分間にするとか、そうした方がよっぽど賢明だし、あらゆる方面に対する真のリスペクトだと思うんです。

ていうか、311があったからには、それを常日頃からシミュレーションしていなければ行けなくて、いざコトが起きてしまった時には間違いなく「焦らず正しい対応」を出来なきゃダメなんですよね。

逆に、犠牲になった方々のことなら、わざわざ年イチでその日その時を待ち構えて仰々しく目瞑らんでも、365日想っている人は想っているでしょう。

この辺はもう宗教観みたいな話になるので追究しませんが、避けようの無い悲劇をいかに緩和するか、ということを日頃から合理的に考えることこそが、本当の意味で「教訓を生かす」ということだと思います。


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話が脱線しましたが、改めて、岩手県釜石市は本当に素晴らしいところでした。

山と海と川と揃う豊かな自然、情緒ある鉄道沿線の風景に、人の暖かさと強さ。

震災云々の背景を抜きにしても、心の底からまた来たいと思える街です。

この素敵な出会いときっかけをくれた川崎優菜さんには心から感謝です。


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遠野市 カッパ淵

秋田〜釜石間で通過する遠野市にも前から気になっていたスポットがあったので、少し立ち寄ってみました。

カッパの伝説が残る「カッパ淵」ですが、まあそこのクセが強えのなんの

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怖い。

駐車場に並ぶ無駄なリアルなオブジェに震え、カッパ淵に向かいます。
(カッパの伝承を再現したやつですね)

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思った以上にこじんまりとしたスポットでしたが、良い具合にひっそりとした小川と藪で、本当にカッパが出てきそうな雰囲気がありました。

遠野は、カッパ淵に立ち寄った以外は車で通過しただけなのですが、本当に日本の原風景というか、何の変哲もない田園地帯なのに、他には無いような深い情緒を感じるところでした。

いつかゆっくり歩いて回りたいです。



以上!

岩手県、最高でした。
沿岸北部と内陸部も攻めていく予定です!

初回投稿から結構頑張ったので、このクソ長い自己満日記をここまで読んでくださった心優しい方は是非♡も押してやってください。

また書きます!

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