妖怪図鑑10:甚兵衛文身
古代中国の歴史書『魏志倭人伝』には、当時の日本列島の住人の風貌について、こう書かれている。
黥面文身、と。
「黥」の部首は「黒」である。魚偏の「鯨」ではない。これは「墨」を表している。「黥面」とは顔に、そして「文身」とは身体に、入れ墨があることをいう。
つまり、卑弥呼の時代の日本人は、全身に入れ墨を施していたということになる。その理由は明確ではないが、魏志倭人伝にはサメやウミヘビなどの危険生物を避けるための装飾だったと記載されている。
江戸時代においても、身体中に施された華やかな入れ墨は、勇み肌の江戸っ子たちに「粋」の象徴としてもてはやされ、火消人足や鳶、飛脚など、肌を露出する労働者たちの間で広く流行していた。
神田於玉ヶ池に住む甚兵衛も、総身彫を誇った火消人足の一人である。
負けん気の強い甚兵衛の身体は、誰かと競うたびに彫り物が増えていき、挙げ句の果てには、頭の天辺から足の爪先まで、絵の具で塗りつぶしたかのように、びっしりと彫り物に埋め尽くされていたという。
しかし、甚兵衛は、ほどなく死去する。肉体が腐敗し、白骨化した甚兵衛には、いまや一筋の彫り物も残っていなかった。
ある日、残された甚兵衛の女房の背中に突然、真っ赤な鯉が浮かび上がる。
人々は「甚兵衛の祟り」と恐れた。
それから、人々の身体に、入れ墨のような装飾が浮かび上がる怪異が起こるようになり、いつしか、その怪異は「甚兵衛文身」と呼ばれるようになったという。
その姿は、ひらりと風にたなびく薄い絹布のようである。
しかし、よくよく目を凝らせば、布の両面にびっしりと細かな図柄が書き込まれていることに気がつくだろう。それは、まるで彫り込まれていた入れ墨だけが、人肌を離れ、たゆたうかのようでもある。
やがて、哀れな犠牲者に取り憑いた甚兵衛文身は、その人間の身辺に、さまざまなイメージを発現させることとなる。
そのイメージの出現パターンは、以下の2種類あることが知られている。
甚兵衛文身によるイメージの出現パターン
A) 自己愛型
取り憑いた人間の思想信条、趣味や嗜好を象徴するイメージやシンボルが浮かび上がる。
B) 補償型
取り憑いた人間の弱点や未熟な点を補完するようなイメージやシンボルが、まとわりつく。
たとえば、下記のような目撃例が報告されている。
A)自己愛型の目撃例
【例1】男性 19歳 N・Sさん(自己愛型)
アイドルの追っかけをしているN・Sさんの胸元に、まるで生きているかのような、真に迫ったアイドルの笑顔が浮かび上がった。
【例2】男性 34歳 M・Tさん(自己愛型)
ヘヴィメタルバンドを愛聴するM・Tさんの胸元に、禍々しいバンドロゴと邪悪なアルバムアートワークが表出した。
【例3】女性 23歳 K・Hさん(自己愛型)
ディズニー映画が好きなK・Hさんのバッグに、『ナショナル・トレジャー』のニコラス・ケイジのマスコット人形がぶら下がっていた。
B)補償型の目撃例
【例4】男性 13歳 R・Yさん(補償型)
臆病な性格のR・Yさんが身にまとうアイテムに、チェーンや金具などの金属的なパーツが増え、神秘的もしくは超越性を連想させがちな図案が浮かび上がった。(補償内容:強さへの憧憬)
【例5】女性 35歳 T・Sさん(補償型)
やや肥満体型のT・Sさんの身辺に、ピンク色のリボンやフリフリのワンピースが出現した。(補償内容:可愛らしさへの憧憬)
【例6】男性 27歳 Y・Kさん(補償型)
臆病なY・Kさんが、サングラスをかけて、大声でわめき散らしながら、肩で風を切って歩いていた。(補償内容:強さへの憧憬)
【例7】女性 29歳 M・Oさん(補償型)
特筆すべき能力や長所のないM・Oさんが、大音量でジャパニーズ Hip Hopを流しながら、ビッグスクーターを疾走させていた。
(補償内容:影響力への憧憬)
甚兵衛文身の正体とは?
目撃例の中には、単純な身体装飾の域を超えるような、服飾品や装身具、さらには音響や行動といった現象まで含まれている。
意外に思われたかもしれないが、甚兵衛文身が発現させるのは、図柄ではない。甚兵衛文身とは、周囲の人々に与えるイメージ(心的表象)を操作する妖怪なのである。
上古の時代より、呪術的な目的にせよ、装飾的な目的にせよ、いずれにしても、入れ墨とは「他者へのメッセージ」でありつづけた。
甚兵衛文身も、憑依された者が胸に抱えるメッセージを他者へと発信しつづける、いわば代弁者でもあるのだ。
そのメッセージは、ただ1つ、「欠乏への畏怖」である。
自己愛型であっても、補償型であっても、根底には満たされぬ思い、抱える欠乏感を解消させ、充足させることを強く熱望している。
甚兵衛文身が映し出すイメージは、いわば、その絶望の叫びなのである。
■ 退治方法
▶︎自分が憑りつかれた場合
退治するために、知っておくべきことがいくつかある。
① 甚兵衛文身が発現させる表象は「欠乏への慟哭」だということ。
そのメッセージの表出は、解決をもたらすものではない。
ただ、他者に、満たされない心の葛藤をぶつけているだけにすぎない。
② 甚兵衛文身が訴える欠如感や不全感は、所属する共同体全体への欲求だということ。つまり、特定の第三者が救うことはできない。
通りすがりの親子は、張子の虎を怖がることはできるが、本物の虎に育てることはできない。
つまり、メッセージの発信には、まったく意味がないこと、それを自覚することが肝要である。
アニメキャラの公式グッズを身につけても、愛情は満たされない。
モヒカンにすれば、強くなるわけではない。筋トレでもした方が、よっぽど早い。
特に補償型の場合、他者に勝手な見返りを求めることになる。
メッセージに意味がないだけでなく、余計なちょっかいを出していることに他ならない。とりあえず迷惑なのは確かだ。
自己愛型の場合は、過度なアピールさえしななければ、さほど迷惑でもないのだろうが、意味がないことには変わりがない。
意味があるとすれば、共同体を結束させるシンボルとしての表象である。たとえば、制服や合言葉などは、団結の印として極めて有効である。学園祭のオリジナルTシャツなど、その典型であろう。
表象は、閉鎖的な共同体の内部でのみ通用する意義を生み出し、共同体を閉鎖する錠前となる。
しかし、甚兵衛文身がメッセージとして発信する欠如感や不全感は、所属する大きな共同体との関係性によって生まれている。閉鎖的な共同体に身をひそめることは、根本的な解決にはならない。
いや、むしろ逆効果であろう。
もっとも重要なのは、自分自身が、欠如感や不全感を許容することである。
変えるのは、他の誰かではない。第三者ではない。自分自身だ。
少しずつ欠如を抱えながら、大きな共同体で、ときにはケンカもしながら、共に生きることである。
▶︎取り憑かれた人を相手にする場合
甚兵衛文身に遭遇した場合、以下の2点だけ留意すればいい。
① その人物が生み出す表象は、欠如感・不全感ゆえの叫びだということ
② その満たされなさは、本人の問題だということ
要するに、放っておけ、ということだ。
極端な行動には、強烈な必要性が隠れている。
一見、場違いな行動のようでも、本人にとっては、そうせざるをえない理由がある。ただ、目的に対して、方法論を誤っているだけにすぎない。
そして、もしも、強制的に甚兵衛文身を引き剥がそうとすれば、かえって事態は悪化することにもなる。
根底にある欠如感を満たさないまま、表象を禁じることは、むしろ表象を過激化させるだけでしかない。
行動の背景に隠された、目的・意思を察知すること。
そして、自分自身で解決する能力があることを信じてあげること。
目をそらして、そっと、その場を離れること。
それが最善の支援となるのだから。