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レシピ7:誰にも見せない日記を書く

 「男もすなる日記というものを女もしてみんとてするなり」
 有名な紀貫之『土佐日記』の書き出しです。

 われわれも日記を書いてみましょう。
 ただし、誰にも見せない日記を。


 ソーシャルメディアの隆盛から、誰でも手軽に日々の姿を記録することが可能になりました。わざわざ日記を書かなくても、SNSやブログ、それこそ電子メールの履歴からも、その日に何が起こったのか、ある程度は振り返ることができるようになりました。

 そんな時代に、なぜ、あえて日記なのか?

 具体的な批評はライフハック系の記事に譲るとして、ここで紹介するのは、たった1つの理由だけです。
 それは、日記とは、自身を対象化することができるツールだということです。さらにいえば、私は、誰にも見せることのない日記をつけることを勧めています。

 なぜなら、誰かの目に触れることをほんのわずかでも想定するだけで、その日記は共有化されてしまうからです。
 共有化された日記は、意志しようがしまいが、そんなのお構いなしに、共同体の価値観によるコントロールを受けます。

 つまり、他人の評価を気にせざるをえないのです。
 その結果、意識せずとも、書くべきことが書かれなくなり、そして、書く必要のないことが書かれるようになるのです。

 たとえば、ウェブ上で不用意に爆破宣言すれば逮捕されるでしょう。
 彼女がいつもチェックしている彼氏のスマートフォンには、浮気の痕跡は残されていません。もしくは、とりあえず雲と猫とラテアートをアップしたり、あるいは、なんとなく政府を批判してみたくなる年頃にもなるはずです。

 われわれは、他者と切り離されて生きてはいけないのです。
 (詳しくは、テキスト「喫茶店にアスタリスク」を参照ください)


 プライベート空間を維持するためには、他者が入り込む可能性は完全に排除しなくてはなりません。
 そのためにも、日記は誰にも見せないようにしましょう
 誰にも見られることがない日記において、人は初めて自分に正直になれます。

 誰にも見せない日記のメリットは、以下の2点です。
 1)他人からの評価を気にせず、自分自身の本音を知ることができる。
 2)周囲に同調するあまりに自分の価値観を抑圧する習慣から解放される

 意外に、自分自身の本音はわからないものです。
 たとえば、嫉妬の炎に焼かれる自分の姿は、誰だって目を背けたくなるものでしょう。あるいは、誰かに打ちのめされた現実も、きっと認めたくないもののはずです。

 しかし、誰にも見せない日記には、そういった恥ずかしいことも書くことができます。いえ、むしろ書いたほうがいいのです。

 誰にも見せない日記を書く上でのポイントは、4つです。
 1)弱みをさらけ出す。
 2)本音や一次感情を、そのまま書く。
 3)他人の意見は気にしない。
 4)日常生活のために利用する。

 もちろん、誰にも見せない、というのは大前提です。
 同居人がいるならば紙の日記は避けておくべきでしょうし、パートナーが携帯やスマホを勝手に見るようなら、パスワード設定や非公開のウェブ日記を利用するなどの工夫が必要でしょう。

「隠し事をするなんて、許せない」
「ありのままを共有するのが本当の愛だ」

 違います。
 誰にも見せない日記は、自分自身であるための大切な統合作業です。
 人間は、無数の知覚の束を取捨選択して「自分」というものを構成しています。誰にも見せない日記に綴られた内容は、隠し事ではなく、混沌とした統合以前の思考なのです。

 舞台女優がなんども稽古でダメ出しをされ、アスリートが気の遠くなるような量の努力を続け、小説家が推敲に推敲を重ねるように、われわれも混沌とした思考を吐き出し、こねくり回し、ひとつの形にまとめていくのです。

 すべては本番のために

 だからこそ、この日記は、明日以降の日常生活のために書かれなければならないのです。ただの罵詈雑言を垂れ流すだけの場にならないよう、むしろ自分とゆっくり対話できる場として活用していきましょう。

 明日の舞台に向けて稽古する主演俳優として、しっかり調整していきたいものです。

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タナコフスキー
拙い文章ではありますが、お読みいただき感謝いたします。 僅かでもなにかお持ち帰りいただけたら嬉しく思います。