レシピ8:好きなことをやりなさい
2015年11月30日、漫画家の水木しげる氏が亡くなりました。93歳でした。
私は、どちらかというと烏山石燕や柳田國男の系統であり、それほど水木氏の熱心なファンというわけではありませんでした。
しかし、水木しげる氏がいなければ、妖怪の存在が、今日において、ここまで語られることはなかったかもしれません。
現代社会に妖怪の存在を伝え、あるいは、自由自在に妖怪を生み出した水木氏は、まさしく烏山石燕の正統な後継者であり、その功績は無視すべからざるものだと感じています。偉大なる先達でした。
そんな水木しげる氏の「お別れの会」で、参列者一人ひとりに配布されたポストカードがあります。
そこに書かれていたのは「好きなことをやりなさい」という言葉。
いかにも妖怪を愛した水木氏らしく「好き勝手に自由に生きろ」というメッセージにも読み取れますが、その真意は、まったく異なるものと考えています。
それを解くカギは、「幸福の七カ条」という水木氏の人生訓にあります。
第1条:「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない」
第2条:「しないでいられないことをし続けなさい」
第3条:「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし」
第4条:「好きの力を信じる」
第5条:「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」
第6条:「怠け者になりなさい」
第7条:「目に見えない世界を信じる」
詳細の説明は省きますが、たとえば、第6条「怠け者になりなさい」という一文を読むと「あくせく働くなんてツマラナイ。人間らしくノンビリ無理なく暮らしなさい」と、それこそ目玉の親父が言っているように感じることでしょう。
しかし、この一文に込められた想いは、まったく異なるものです。
自分の好きなことを自分のペースで進めていても、努力しなくちゃ食えん、というキビシイ現実があります。それに、努力しても結果はなかなか思い通りにはならない。だから、たまにはなまけないとやっていけないのが人間です。
ただし、若いときはなまけてはだめです! 何度も言いますが、好きな道なんだから。でも、中年をすぎたら、愉快になまけるクセをつけるべきです。(水木しげる『水木サンの幸福論』角川文庫 P.20)
この解説からも、水木しげる氏の幸福論が、単純に連想されがちな「自堕落」「のんびり」という雰囲気とは、まったく無縁だということがわかるでしょう。むしろ「努力しろ」と連呼しているくらいなのです。
水木氏の語る「幸福」とは、困難を乗り越えることも厭わず、ひたすら努力し続けることも苦にならない、そんな「好きなこと」を見つけることです。
そして、水木氏からの最後のメッセージとして配布された「好きなことをやりなさい」という言葉も、まったく同じことを私たちに語りかけているのです。
不幸や貧乏を嫌い、他人の視線に怯えながら、それなりに生きるのではなく、一度かぎりの人生を「好きなこと」に賭け、懸命に生き抜くこと。
それが「好きなことをする」ということです。
国民教育の父と謳われた森信三にも、次のような言葉があります。
人生をさまざまな鉱脈の眠る断崖と喩え、下層は鉛や鉄のような安い鉱石ばかりだが、上に行くほど金銀のような高価な鉱石が眠っているとしたうえで、
お互い人間として最も大切なことは、単に梯子段を一段でも上に登るということにあるのではなくて、そのどこか一ヵ所に踏みとどまって、己が力の限りハンマーをふるって、現実の人生そのものの中に埋もれている無量の鉱石を、発掘することでなくてはならぬからであります。(森信三『修身教授録』致知出版社 P.99)
目の前の鉛を掘る。
ただ、目の前のことを一つずつ丁寧に片づける。
愚直なまでのその姿こそ、水木氏が「幸福」と呼んだ姿に他ならないと、私は確信しています。
中には、未だに人生を賭けるほど「好きなこと」など見つかっていない、そう言う人もいることでしょう。
しかし、おそらく「好きなこと」は見つけるものではなく、覚悟を決めて、目の前にあることに取り組むことで、それが「好きなこと」になるのです。
どんなことでもいいのです。
ただ、あらゆるリスクを引き受ける覚悟さえあれば。
それがたとえ、ゲームでもマンガでも、あるいはアダルト業界であっても、その道を進むことによって発生するであろう、さまざまな問題をきちんと受け止める覚悟さえあれば、私たちは、その道をひるまず進むべきなのです。
もちろん、そのリスクたるや想像以上に厳しいものでしょう。
狭き門ゆえの喪失感と貧困、さまざまな社会的制約、先の見えない不安。そして、他人には見下され、劣等感と嫉妬に苦しめられる日々…。
だからこそ、圧倒的な覚悟が必要なのです。
圧倒的な覚悟を得るために重要なのは、以下の3点です。
(1) 揺るぎない自己肯定感
(2) 社会への貢献感
(3) 頑張りすぎないこと
他人の評価を撃ち砕くほどの自己肯定感は、独りよがりでは生まれません。社会が寄り添い、支えてくれることで、はじめて根拠なき自己肯定が可能になります。
その上で、困難を耐え抜くだけの達成感が必要です。大金や名声でもいいのかもしれませんが、もしかしたら、それは鉛を掘った副産物として、たまたま得られるものなのかもしれません。
幸福が訪れてくれるのを待っていたら、いつまでも、幸福に出逢うことはないでしょう。
こちらから歩み寄っていくこと。それが幸福への近道なのです。
「好きなことをやりなさい」
その言葉には、自分自身の生命を生き抜く誇りすら感じられます。
誇り高く、この世界に生命を刻みつづけていきたいものです。