ラララ、とは一体なんだったのか? -人間が生きる意味について-
2020年になった。オリンピックイヤーだ。
早生まれの僕にとっては、同級生に遅れて30歳になる年。
節目の年に単純すぎるけど、色々と考えなおすことが増えた。
生きること、仕事のこと、家族のこと、それから何をなすべきなのかということ。
当然だ、30歳はトランジション(移行)の時期らしい。
そのどれにも明確な答えは出せないのだけれど、とにかく頭を捻って考え抜いた。
そうして、とりあえずウクレレをかき鳴らすことから始めてみることにした。
せいぜい弾けるのは、ハワイアンパンプの真似ごと程度。
少なからず斜め右に進んでしまった感もある。
それでも、新しいことを始めるのは清々しい。
九ヶ月になる子どもだって、僕の下手くそなウクレレに手を打って喜んでいる。
それだけでも意味はあるというものだ。
まだまだ僕も若い。
と言いつつ、昨日の帰り道。
電車に映る自分の顔を見てちょっと愕然とした。
少しばかり老け込んだ男が、そこに立っているではないか。
見つめ合う二人。
肩を落として、ため息をつくタイミングも同じ。
きっと違うのは、内に秘めたグツグツの若さぐらい。もしかすると、向こうのあいつも持っているかも。
それは、あいつにしか分からない。
もう少し、猶予が欲しいなと願いながら電車を降りた。
猶予。猶予ってなんだろう?
電車は去り、改札階に向けて階段を一段飛ばしで駆けあがった。
改札にPASMOをピッとする。
それと同時に、頭の中にあるフレーズがふと浮かんだ。
「そんな LaLaLa(ラララ)
探している 」
ラララ。
ラララ、って結局一体なんだったんだろう?
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『ラララ』は、1999年に発売されたMr.Childrenの7枚めのアルバム『DISCOVERY』に収録されている。
カントリー調の明るい曲でありながら、日々に少しばかり疲れた大人のぼやきのような、未来へのささやかな期待のような、光と影が共存しているような曲だ。
タイトルの通り、歌詞にはしきりに「La La La(ラララ)」が使われている。
「簡単そうに見えてややこしく
困難そうに思えてたやすい
そんなLa La La そんなLa La La
探してる 探してる 」
曲ができた当初は、「ラララ」の部分が「ほにゃらら」だったらしい。
そんなことを聞けば、適当にあてられた言葉だったのかな? ぐらいで流すものだが、ここがファン(というより、オタク)と一般の方との違いだろう。
ラララ、って一体なんだったんだ?
と、オタクの僕は深く考察したくなるわけである。
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人が生きる意味はなんだろう? と日々考える。
たくさんのお金を稼いで楽しく暮らすこと、だという人もいる。
しかし、とある偉い先生によれば「富を追求することは『幼児性の現れ』だ」とのことらしい。
幼児性によって、社会は発展に進み切らないのだと。
なんとなくわかる気はする。
富の追求は、分断された個の利益の追求だ。
「共生社会」を目指すと言っている現代においては、たしかに逆行した考え方かもしれない。
さらに、先生はトランプ大統領のことを例にあげる。
トランプの「経済的利益をあげること」への執着、それが人間的な幼児性の現れであると。世界のリーダーであるアメリカ大統領が、未来の在り姿と逆行した動きになれば、全体的に個の方向=ナショナリズムに走ることになる、そんなようなことだった。
でも、トランプはプロテスタントらしい。
となると、宗教的教義のもとで経済利益を追求している可能性もある。
本当のところはどうかわからない。
でも、個人によって置かれた環境も考え方も、そこに至る経緯だって違っている。それを一概に幼児性という言葉でくくることはできるんだろうか?
そもそも、生きる意味なんていうのは、果たして万人に共通した言葉で語ることができるんだろうか?
ここからは、僕個人の考え。
人間には、生きる意味なんてない、と思っている。
生きる希望はあって然るべきだけど、運命論的なものとか、べき論なんてのはありえないと思う。
人間は高度に知能を持った動物なだけであって、地球は”人間様”のものではない。
アリが蟻塚を作るのと同じで、人間も高層ビルを作る。
野生の羊に換毛期があるように、人間も衣替えをする。
ライオンが捕食するのと同じように、人間も屠殺して食肉を得る。
人間は、地球上に存在する動物となんら変わりない存在なんだと思う。
生きる意味はない、というのは少し言い過ぎたかもしれない。
人間が生きる高尚な意味はない、という方が正しい。
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そこで、『ラララ』に戻ってくる。
あの曲は、そんなことを歌っているのではないかなと思うのだ。
まずは以下の歌詞から。
「ニュースは連日のように
崖っぷちの時代を写す
悲しみ 怒り 憎しみ 無造作に切り替えて行く
明日をいきる子供に 何をあたえりゃいい?
僕に出来るだろうか?
太陽系より果てしなく
コンビニより身近な
そんなLa La La そんなLa La La
探してる 探してる
無くてはならぬものなど
あんまり見当たらないけど
愛する人も同じように
今日も元気で暮らしている
一人じゃない喜び
何はなくとも それで良しとしようか」
二番から、最後の大サビ前のところまでの歌詞をそのまま引用した。
完全に意訳だけど、もう少しわかりやすく書いてみよう。
混沌とした世の中。
人間が生きる意味ってなんだろうか?
太陽系よりも果てしないぐらいだけど、コンビニよりも身近な自分(=人間)の生きる意味。
それを探しているけど、結局よくわからない。
周りを見ても、無くてはならないものなんて見当たらなくて。
それでも、愛する人は今日も元気で暮らしていて、自分と同じ空気を吸ってこの地球の上で暮らしている。
結局大事なことはわからないんだけど、あの人も笑っていることだし、それで良しとしよう。
そこで大サビだ。
「簡単そうに見えてややこしく
困難そうに思えてたやすい
そんなLa La La そんなLa La La
探してる 探してる
赤い夕日が燃えて沈んで
長い夜を越えて昇る
今日もLa La La 明日もLa La La
探してく 探してく」
これもあくまで僕の考え。
一番と二番まで歌ってきた「La La La」と、大サビの「La La La」に関して、櫻井さんは違ったものをイメージして歌っているのではないだろうか。
生きる意味ってなんだろう、と色々考えてきたけど、結局のところよくわからない。
それでも、愛するあの人が笑っていることで幸せになれる自分がいるんだから、意味なんて考えなくてもいいのかもしれない。
だったら、そうやって生きる希望や楽しさを探して行く方がいいのかもしれない。
そんなLa La Laを探していこう。
と優しく語りかけているのだ。
本当のところはわからない。
でも、おそらくそんな感じなんじゃないかなと思う。
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僕にとってのLa La Laはなんだろう?
20歳の自分と、30歳の自分と、考えることも感じることもガラッと変わっているだろう。
一概に、これさえあればいい、なんていうのは言い切れない。
でも、それでいいような気がする。
その時々に考える必要なLa La Laを探して、また違うLa La Laを探しに歩いていけばいいのだ。
そんな感じで、気楽に生きていこうとおもったのでした。
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このnoteが、生きることに悩む人にすこしでも届けばいいなと思っています。
そんなに思い詰めなくても、もっと肩の力を抜いてもいいんだよ、と。
『ラララ』を聴いて、もっと気楽に生きていって欲しい。
みんな、もっとミスチルを聴こう!
おしまい