続ける
物事を続けるには困難を伴う、とよく言われる。
久々にnoteを記させて頂いている。私は、文を書き続ける事に失敗した。ダイエットも続かなかった。読書も続かない。本を買うという悪癖だけが延々と続き、地震以上に家を軋ませる。
しかしながら、続いていて良かった事もある。それは2つの仕事である。
私は仕事を2つ有している。1つはお年寄り向けパソコン教室の講師、もう1つは契約社員である。前者は低収入で、両親から「もう辞めろ」と叫ばれて久しい。後者は一般就労に近く、収入も充分に貰え、福祉関係者から「障害者就労の成功例」として喝采された記憶がある。夜勤ではあるが、夜ふかしに天賦の才能がある私には、夕方に始まる業務は却ってありがたかった。どちらの仕事も私には大事で、過去に勤めたどの会社より肌に合っている。
続いている事には要因がある、と私は思う。逆に記すと、何らかの要因がない限り、続ける事は困難ではないだろうか。
勿論、今の仕事は2つとも課題だらけである。パソコン教室はお陰様で好評を博し、教室の増設と、スマホの講座を開く予定となった。私は一人しかいないのだが、労力は私3人分くらいに膨らんでいる。もう片方の契約社員も、所属しているチームが悪い意味で硬直しており、社内で稟議書1枚を作るだけでも大騒ぎになり、私は先輩に挟まれる。いっそ全て投げ出したくなる時もある。それでも仕事を続けていられるのは、どちらの業務も「お客様から感謝されるから」あるいは「感謝されないのは私の手落ちだから」という好感情欲しさにあると私は考えている。
続けられる事には要因があると重ねて思う。しかし、それにも限度はある。今の仕事をどこまで続けられるかが、私の人生の分水嶺になる気がしてならない。