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【小説】幸せを考える (書き散らし)

 私は、幸福が分からずにいました。或いは、不幸になるために生まれてきたのかもしれない、と思うほどでした。幸とは、自然に感じるものでしょうか。それとも、探しに行くものでしょうか。いつも側にあるのでしょうか。それとも、限りがあったりするのでしょうか。私は全く理解できずにいます。

 例えば、私、人から大切にされたことがないと思っているような、いけない人格の持ち主でした。多くの命とともに私の人生はあったのに、まるでそのことをなかったかのように語ってしまう、そんなだめな人間なんです。幸はそこにあったはずなのに、まるで覚えていない。愛でした。きっと。幸せでは、ありませんでした。多分。すべてが、ぼんやりとしている。それなら、幸せではなかったのかもと。そう思わずにはいられない、天性の、不幸者でした。
 やはり、私に幸は難しかったのです。愛さえもわからないので、そこにあっても、何も感じない。愛がそこで座っていると、そして、それが私に向けてあると、ただ事実として把握するのがやっとでした。
 私はずっと、寂しい人だと言われていました。人に、寂しい人だと感じたことがなかったので、何がいけないのかもわからない。それも含めて、寂しい人間なのでしょうか。
 いつか、幸福をきちんと追求しないこと、それから、きちんと生きないことで、ひどい罵声でも浴びせられそうで、そのことを考えると無性に死んでしまいたくなりました。私の生は、全く意味を持たない。それを聞くと、大抵の人は怒るなり、諭すなり、してきますね。なんて、ロマンチスト。リアリストの私は、特にやりたいこともありませんでした。気分転換に旅行へ?旅行費を出してくださるのですか。美味しい食べ物?しばらく、空腹を感じないのですよ。生きてさえいればよい?よいのは、あなたでしょう。それはね、私ではないのです。しかし、ありがとう。
 人生に、退屈してしまった。飽きがきました。いつ死んでも良かったのです。けれども、なんとも不思議なことが起きているのです。
 字はね、小説はね、なんとなく書き続けられそうな気がするのですよ。いえ、違います。もう少し、書いていたい、なんて思うのです。もしかすると、これが俗に言う、幸というやつなのかもしれない。
 なんだか、少しだけ嬉しくなって、また飽きるまでは、生きよう。なんて、調子が良い。そんなことを、今春も考えています。


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