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Violence, Venus & Vanitas【ショートショート】

 苛々する──

 男は眠れなかった。被害妄想のためであった。しかしそれは現実に即した被害妄想というか、実力相応の被害妄想であった。

 男はまだ若者だった。歳上の連中は、自分の無意味さを棚上げしているくせに、時間の長さだけでまるで「救われている」「許されている」みたいな顔をしている。誰もあんたを許しはしないよ。

 酒が入ると、奴らは、発情したカラスのように手がつけられなくなる。酒がなくともゴミ袋を漁るように俺や俺の仲間である彼女達を突っついてくるというのに。

 被害妄想とはこのことだった。またカラス共が彼女らにちょっかいを掛けて回らないかが不安だった。カラスはカラスなので人間の常識が通じない。〇〇ハラが紳士の嗜み・・・・・だった時代の古酒を好んで呑んでいる。

 言葉だけで他者を動かせるものか。正論で群れたカラスを動かせるものか。それが分かっているから恨めしくて堪らない。かといって俺が実力行使に出ようとしても無駄かもしれない。

 俺は男だが男ではないのだ。カラスはそこを突っつくだろう。俺には相応の力がない。力とは暴力である。

 社会は、男に暴力がある前提で回っている。

 男は自身の暴力性ゆえに女を傷つけ、同時にその暴力によって自身や他者を守るか、抑止力のように使え。そう社会は強要してくる。

 純粋な暴力勝負になったとき、俺はおそらく負ける。そして、俺が暴力に訴えることを、彼女らは望まない可能性が高い。

 社会は、女に忍耐させることを前提に回っている。

 射精も、暴力も、月経も、妊娠も。女は男のために弱者であれ、と。そういって社会は女の頭を撫でている。

 彼女らもそれを少なくとも無意識下では理解している。〇〇ハラも忍耐の対象だと思考停止する。世間だ。世間体のためだ。「そんなことで怒るなよ」「そんなマジになんなよ」とか抜かすカラスはそっくりそのまま世間に早着替えしやがるからだ。

 怒るよ。マジだからよ。

 俺はそういうことが起こりやしないかと不安なのだ。そういうことが起こってほしくなくて夜も眠れないのだ。

 俺がもっと暴力を持っていたら──

 核爆弾を持ちたい国と何が違う? そこに現実以外の正しさがどこにある? なぜ暴力なのだ! なぜ忍耐なのだ! なぜ俺は男なのだ、なぜ俺は男でないのだ、なぜ彼女らは女なのだ──

 なんと虚しい夜か。俺がいかにカラスや社会を呪おうと、実際に呪いが掛けられるわけではないのに。この呪詛がカラスに届くわけがない。カラスは人語を理解しないからだ。カラスは自分達より長生きでないヒトの言う事なんて酒の肴にすらしない。

 被害妄想の範疇を超えて、厭世まで心の地層が削られていく。この点において俺はなにも間違えてない。やはり帰る前に酒を買っておくんだった。

 ウェヌス、美と愛の神ウェヌス──どうか正しき愛を与え給え。カラスを彫刻にし給え。クピドの矢で俺ごと皆殺しにしてくれ給え!

 俺はずっと死にたいのだ。守ることすら暴力だ。何様で俺は守るのだ、なぜ俺はこんな夜を迎えねばならないのだ。ウェヌスよ。

 なにが愛だ。愛とは何だ、ウェヌス。暴力か? 忍耐か? 社会か? そんなの全部贋物じゃないか。そうだろう?

 本当のことなんて人間には何ひとつ無いのだ。だからカラスはあんなに馬鹿馬鹿しく「ああ、ああ」と喘いでいるのだ。どうせ誰にも俺のことなど分からないのだ。なぁウェヌス!

 人間を彫刻にもできるだろう?

 それで終わりにしてほしいんだ。本当なんだ。ピグマリオンは不要だ。誰にも愛されないから俺なんだ。俺は男だが男ではない。暴力がなければ男ではない。忍耐が無ければ女ではない。そんなこと言う社会なら、すべての人間は人間である意味がない。

 ああ、ウェヌス。ヴァニタス、ヴァニタス──

 誰にも理解できないように書いたら純文学だと見たことがある。じゃあこれも純文学だ。理解できるなら愛せよ、ピグマリオン。

 ヴァニタス、ヴァニタス。


2024年8月24日 薊詩乃

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