薊詩乃/Azami Shino

関西の劇団《るるいえのはこにわ》(https://www.rlyeh-hakoniwa.com )主宰・脚本・演出 /ショートショートなど /BOOTH→(https://azami-shino.booth.pm )

薊詩乃/Azami Shino

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これは伏線です

もう誰も愛さない。 もう誰も許さない。 そう言ったのを覚えている。 被害者になるより、加害者になるほうが良いに決まってるじゃないですか。 私に足りないものは狂気だった。 私に要らないものは信頼だった。 愛されるために言葉を書いたのか? 愛されるために薊詩乃に成り下がったのか? 違う。違った。違ったはずなのに。 私はそれを待っていた。今まで誰からも褒められたことがない。 だがそんなのぜんぶ偽物だ。今ならわかる。 私を生かすものは希望だった。 許されるという希望。 幸せ

    • 希望。

      薊詩乃のこれまでの作品には、共通するテーマがある。これはあとから気がついたことだ。 それは希望である。 過去作には、「希望」という単語を含む台詞がなぜだか多く含まれていた。 また、台詞ではないが、2023年12月上演の『心のナイアルラトテップ』では、主人公が裏切ってしまう恋人の名が「雪風希望」である。 主人公にとって彼女は希望だったのに、彼の悪徳はそれを選ばなかった。 なぜこんなにも希望について語るのだろう。 それは、希望なんてものを、私が持ち合わせていなかったから

      • どうか、生き抜いて。

        るるいえのはこにわ 断章3『タムケ=ハナムケ』終演しました。本当にありがとうございました。 作中で伝えたかったのはこの言葉だった。 しかし、これが絶対的に正しいと盲信しているわけではない。綺麗事と言われればそれまでかもしれない。 それでも、これだけが本物なのだ。この想いだけとその根本にある思想だけが本物で、この世にあるそれ以外のものは全部偽物なのだ。 私が間違っていて、「死ね」と「死にたい」とそのうち遂げられる身だとしても、この言葉だけは言わねばならなかったのだ。

        • 救い。

          行方不明になりたい── というのは、「探されたい」という意味でもある。 死にたい── というのも、「愛されたい」という意味かもしれない。 金があれば苦しみや鬱から解放されると抜かす普通人がいる。 そんなわけないじゃないか。金は安心の理由や生存の材料になるかもしれないが、金は苦の対義語ではない。 時間や過去や愛や身体は、金ではなんともならない。金でなんともならないことこそが運命である。 私は運命論者であり、運命を悲観している。 たとえば君の過去を悲観している。 自分

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          行方不明。

          2024年9月14日、自死についての2作品を上演する舞台『タムケ=ハナムケ』の幕が上がる。 私は、「あの日間違った全ての僕に」という物語を書いた。 「生きる」ということを考えると、寂しい気持ちになるのはなぜだろう。 哀しい事ばかりで、悲しい言葉借りて。 私はharassmentを撒き散らす人でなしで。 普通なんてどこにもなくて、正しさすらもどこにもなくて。 私はずっと間違っていて、誰かもずっと間違っていて。 でも生きている── 生きるということは、闇をさまよう

          9/10-16は、厚生労働省の定める「自殺予防週間」です。

          正直に言えば、「自殺はいけないことですよ」という意味が、私にはよく分からなかった。 だって、自殺というのは、自分で自分を殺すというだけの話ではないからだ。 空間的にも時間的にも精神的にも追い詰められ、他に何も考えられなくなった上の、最期のもう一押し。声なき断末魔の叫び。 押し殺した「生きたい」と「助けて」と「死にたい」。 自分を死に追い込むのは自分だけではない。人間と社会に大きな罪があるように思う。 「自殺をやめよう」というのなら、自殺させないように、社会のほうが変わら

          9/10-16は、厚生労働省の定める「自殺予防週間」です。

          祈り。

          祈りほど無力なものはない。 なす術がない。干渉できない。 だから祈るのだ。 祈りとは正論である。 ゆえにそれを否定されることは、自分を否定されることでもある。 祈りとは意志である。 ゆえにそれ否定されることは、自分を否定されることでもある。 祈りとは自惚れなのか? 祈りとは無力どころか有害か? 私は軽蔑と嫌悪を両立できないほどに醜悪な怪物に成り下がっている。 私は自己嫌悪と生存を両立できるほどに醜悪な怪物に成り下がっている。 私はたしかに祈っていた。 私はたしかに祈

          九月一日の夜

           九月一日の夜だから、九月一日らしいことをしよう。  今日という日はこの忌まわしい人生でたった一度しか訪れない。だから、今日に相応しいことをしよう。  理由があってよかったと笑おう。理由を与えられて嬉しかったと泣こう。理由がない誰かを祝福しよう。  九月一日の夜だから、九月一日らしいことをしよう。  去年の私が私を見たら、きっと絶望するだろう。だから、来年の私が私を見れないようにしてやろう。  理由があることを誇りに思おう。理由をひけらかす奴らは見下そう。理由すら見

          Violence, Venus & Vanitas【ショートショート】

           苛々する──  男は眠れなかった。被害妄想のためであった。しかしそれは現実に即した被害妄想というか、実力相応の被害妄想であった。  男はまだ若者だった。歳上の連中は、自分の無意味さを棚上げしているくせに、時間の長さだけでまるで「救われている」「許されている」みたいな顔をしている。誰もあんたを許しはしないよ。  酒が入ると、奴らは、発情したカラスのように手がつけられなくなる。酒がなくともゴミ袋を漁るように俺や俺の仲間である彼女達を突っついてくるというのに。  被害妄想

          Violence, Venus & Vanitas【ショートショート】

          自殺したのもあたしじゃないよ【ショートショート】

           歩道でカラスが蝉を食んでいた。夕方でもこの時期は暑くて嫌になる。  地雷メイクして切開ライン引いて、「るるちゃんの自殺配信」(神聖かまってちゃん)をワイヤレスイヤホンで聴きながら、通学路。  学校から帰るときのあたしはあたしじゃない。この顔のときのあたしはあたしじゃない。あたし人間じゃないみたい。人間どもはバカだにゃあ。  蝉の死骸を咥えたカラスとすれ違う。蝉って食べさせられたことないけど美味しいのかな。美味しいから食べさせないのか。そっかそっか。  顎マスクにする

          自殺したのもあたしじゃないよ【ショートショート】

          これは祈りの物語です。

          私には、「救いたい」と「呪いたい」が交互にやってくる。 この物語は、救うための物語である。 いまもどこかで苦しんでいる誰かを救うための物語である。 私が人間ではないことと、 私が祈りの物語を語ることは、 両立すると思っている。 私は自死について語らなくてはならない。 「死ね」と言われ続け、人間でなくなった私であるが、自死について語らなくてはならない。 私は幾度となく希死念慮に襲われている。 短絡的だと思える精神があるからこそ、 まだこのあたりで留まっていられる。 救

          これは祈りの物語です。

          自死について物語るときに私の語ること

          タムケ=ハナムケ私、薊詩乃が主宰している劇団「るるいえのはこにわ」は、 2024年9月14日~15日、大阪の扇町ミュージアムキューブにて、 自死についての短編2作品を上演します。 公演タイトル『タムケ=ハナムケ』は、 「タムケ イコール ハナムケ」 と読みます。 死者への手向けと、 生者への餞は、 同じことなのではないか……という考えをタイトルに反映しています。 自死(自殺)というものは、 生きた人間による行為です。 希死念慮を抱く人は、生と死の狭間、微妙なバ

          自死について物語るときに私の語ること

          【宣伝】思い出だって偽物だ【melted】

          6/29に上演する「melted」は、女3人の三角関係をめぐる、消された思い出と、思い出を消した女の話だ。 忘れることはできる。 忘れたことを思い出すこともできる。 しかし、思い出を消すことができるのは、神話の些細な鱗片だ。 消したい思い出のひとつやふたつ、誰しも持っているものだ。 美しき思い出なら前を向いて進めるだろう。 美しき別れなら先に進む力を与えるだろう。 しかしそうもいかない。 間違った過去の思い出。 自分がそこにいられなかった思い出。 その美しさを許し

          【宣伝】思い出だって偽物だ【melted】

          0614執筆日記

          6月29日に上演される「melted」を書き終えました。 書くのが遅いのでいつもギリギリです。これ以降の修正は稽古のなかでやっていきます。 また、9月に上演する作品の初稿を上げました。 9月ならまだ早いと思われるかもしれませんが、稽古の開始日がありますから、決して早くはないのです。 そして、書くこととは書き直すことです。推敲の作業が待っています。 全然おもしろくない、と思ったら、思い切って書き直さないといけないのです。 初稿なんて面白くないものです。初めから完璧に

          あやまつ

          過ちの代償を払うべき日がくる。 誤っていたことを思い知る日がくる。 謝れなくなった事実に苦しむ日がくる。 後悔はかならず後からやって来るもので、死神の鎌を持ち、物凄いスピードで首筋にそれを当てがう。 死神のほうから鎌を動かしてくれればよいのだが、後悔の死神は、首筋を捉えたが最後、決して自分から動くことはない。 その日が来たとて、私はどうやって代償を支払えばよいのだろう。鎌に向かって体重を預ける他ないのだろうか。 始まってしまったものを、どうやって終わらせればよいのだろ

          あくがる

          かつて憧れていた誰かから、遠く離れた場所にいる。好きだった何かの、出来不出来を観測するようになってしまった。 昔好きだった誰かと何か、それに憧れていた自分自身、その不完全さを思い知った。 一回目に観たときの印象がもっとも強くもっとも美しく、それを越えられない。それどころか、ダメなところに目が行く。 あっちの作品の方が面白いなとか、この頃はまだ美しさが足りないなとか。 私はまだ何者でもないから、こういうのも意味がないのかもしれないけれど。 2024年6月8日 薊詩乃