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胡桃の日


窓の外では、冷たい雨がしとしとと降り続いていた。風に揺れる唐松の枝が、リズムを刻むようにしなっている。そこには、一羽のルリカケスがじっと動かずに止まっていた。その光景は、まるで僕たちの今の関係を映し出しているかのようだった。

僕たちは、いつからか言葉を失っていた。いや、失ったというよりも、言葉を交わすことが意味をなさなくなってしまったのだろう。何を言っても、もうお互いに通じ合うことはないことを、心のどこかで知っていた。

部屋の真ん中のテーブルの上には、胡桃の実がひとつ。誰がそこに置いたのか、もう思い出せないが、その胡桃は、僕たちの間にある小さな隔たりの象徴のように感じられた。手を伸ばせば届くはずなのに、その手を伸ばすことさえためらってしまう。

「言葉がいらなくなったんじゃなくて、忘れてしまっただけなんだな」僕は心の中でそう呟いた。狭いこの部屋の中で、君と僕は、それぞれが互いを理解しているふりをして、実はお互いを全く知らないまま過ごしている。僕の知らない君と、君の知らない僕が、心の中でぶつかり合って、転げ回っているような気がした。

沈黙が苦しいはずなのに、それが日常の一部になっていた。言葉を交わすことなく、ただ時が過ぎていくのを待つばかりの時間。何かを変えるべきだと思っても、動く気力が湧いてこない。外の雨の音が、僕たちの心の中にまで染み渡ってくるようだった。

突然、僕は不意に立ち上がり、何かを言いそうになったが、口が動かない。無意識のうちに右手が振り上げられた。君に向かって、何かを壊すように振り下ろすつもりだったのかもしれない。しかしその瞬間、僕は自分が一体何をしようとしていたのかに驚いた。まるで素手で胡桃を割ろうとしているような、無謀で愚かな行動だ。

君は驚いて僕を見つめ、その目には哀しみが浮かんでいた。その瞳が僕を一瞬で現実に引き戻し、僕は何もできずに拳を降ろした。

「なんてことをしようとしてたんだろう」僕は心の中で呟きながら、再びテーブルの上の胡桃を見つめた。まるでその小さな実が、僕たちの関係の全てを表しているように思えた。固く閉ざされた殻の中に、ほんのわずかな実が詰まっている。けれど、その殻を無理やり割ることはできない。

部屋の中には、静寂が戻った。僕たちの間には依然として胡桃の実がひとつ転がっている。それをどうするか、僕たちはまだ答えを見つけられないままでいた。

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